裸体画問題(一)

  • 読売新聞
  • 1901(明治34)/11/04
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傾日上野にて開会中なる白馬会に黒田清輝氏及びラフアーエル、コロンなど の筆に成りたる裸体画へ下谷警察署長の命令にて腰部に巾を覆 はしめ為に美術界の一問題とならんとするの形勢あり依て重なる美術家並に政府側の之に対する意見を対照し裸体画問題に対 する行政方針に就き研究の資料に供せんと欲す左に先づ某美術家の意見を掲ぐ
裸体画問題も大分八かましい様ですな元と裸体画問題ハ今日に始つたのでハなく去る明治廿八年内国勧業博覧会が京都で開かれた時に黒田氏が彼の裸体画を出品した時が抑も裸体画出品の初めで又議論の火の手が始めて揚つた時である のです其の當時ハ可非論者が殆んど半数であつたのが遂に出品して差支へないといふ事になつたのです△此時からして當局者間にも裸体画に附いてハ種々議 論があつて、たしか三十年五月と思ひます内務省の當局者が同問題 に附いて内訓を下したと云ふ事ですその内訓とハ云ふ迄も無く風紀を 壊乱する恐あるものハ公衆の展覧すべき会場に陳列する事を禁ずるといふのであつて鄙猥なものハ厳重に取締る方針であつたのです但し其の末行に一つの取除きがあつたそれハ古代の神仙を高尚なる目的で以つて画 いたものならバ差支ないと言ふのであつたと覚えて居る△さて此規則ハ解釈の仕様で見解も異つて来るのですから如何に立派な規則があつても解釈を誤ると随分迷惑を感ずる事が出来るのです△成程此の内訓ハ立派な内 訓でありましよう然し政府ハ此の内訓に就て時々解釈を異にして居 る是ハ美術家に取て非常に迷惑な事であつてどうか予め解釈を一定して置て貰ひたいのです△即ち此の内訓の末行に右の様な 除外例を設けた立法者の精神ハ美術の奨励を意味して居 るに相違無いと思ひますからどうか何時でも此内訓を公平な脳髄で解釈して貰ひたいのです時としてハ此精神を自分で破壊する様なことをやつて貰つ てハ甚だ困る。
此の後三十二年に上野で開いた白馬会の展覧会へ同じく黒田氏が三枚の裸体画を出品しました此の時の當局者の意見を聞いた人の話に依ると前回と同様別に差支へ無い と云う事であつたようです差支無いのみならず巴里博覧会へ出品するものに撰抜までされて同会でハ銀牌を得たといふ位であるのに今度ハまたどうしたのですか△是 でハ行政官が内訓の除外例にある高尚といふことに付て頗る漠然たる意 見を持て居るのであらうこの二字の解釈次第でどうでも為る訳ですが是ハ古代 の神仙或ハ美術上の歴史などを充分に研究して了解したも のならバ容易に一定の解釈を下されることゝ思ひます此度の白馬会裸体画に附いての出来事ハ警官などの命令に反抗して論ずる必要ハ無 からうと思はれます警官などハ元と美術界の上から見ると云はゞ素人です只 だ職権に拠つて職権を行ふたのですから殆んど取合ふの必要ハ無 いが然し其の上に在つて命令する人にハ美術にハ素人でも只だ素人だと云つて置く訳にハ行くまいと思ひます當局者の上に立つて居る人ハ相応の学識を有し且つ行政上に附いてハ無論責任がある又其 の人々の経歴から見ても多くハ欧米にも渡航した人が多いから欧 羅巴の事も見聞して居る従いてに裸体画に附いても多少何とか一定 の考があると見なけれバならぬ此當局者ハ右にいふ高尚と云ふ字をどう解釈するか此一定の解釈を聞きたいものと思ひます
(つゞく)

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