画会巡覧記

  • 巽園
  • 東京朝日新聞
  • 1901(明治34)/10/24
  • 7
  • 展評

上野公園 白馬会(つゞき)
長原止水氏の版画「動物園の象」外二葉ハ殆んど影絵の如く藤島氏の線画より更に一層線書を省いたもので一見何の図であるか弁じ難きも熟視して始めて其妙味 を知ると云ふ風だ、併し長原氏ハ明暗共に極端に走つて中庸を得ない今一息此点について工夫されたら面白いものにならうと思ふ。黒田清輝氏の「裸体画」ハ又たも一問題になりかけたが警官の注意によつて半身 を布にて覆ふ事にした、今回のハ外国婦人の坐像で着想も普通で別に深い意味を含ましてハいないやうだ技巧の点ハ氏の事とて行届い てハ居るが全体の皮膚ハ今少しく光線を利用して白皙人種らしく見 せたい夫に肩の肉が落ちて腕が他の部分に比し細過ぎる、兎も角も世論に反対して常に此種の作を出だす勇気の程ハ感服だが 今度のやうに布にて半身を覆ふに至つてハ世論の如何よりも画家の見識を疑がふのである斯んな場合にハ断然引込ますのが相當で然らざれバ日頃神聖とか崇高とか云つて居る裸体美の手前面目ないでハござらぬか、同氏作「婦人肖像」二枚是ハ新派の垢抜けた出来である、白瀧幾之助氏 の「小児月代を剃る図」ハ場中一の大作で其母と小児の態度ハ 勿論母の後方から差覗く十二三歳の少女の姿勢最も宜し又難を云へバ剃刀を取つて小児の月代を剃る老母ハ少しく肩附や右手 の形ちに無理があるが斯ういふ場合にハ手勝手の悪い事が多いから無理 のある方が実景かも知れぬ、其傍の金盥の位置が一寸上り過 ぎて居るのと後景の屋外の遠近が判然せぬのハ惜しむべきである、三宅克巳氏の水彩画ハ氏が旧来の画風漸やく一変して筆も細かになり油画かと思ふほど彩色の厚いのもある、氏ハ水彩画家中の老手とて素より濃 淡自在でハあらうが旧来のやうに粗い筆で大景を写した方が趣味が ある唯粗いのを好む筈ハないが其着想の奇抜なのがあつたからで今回の如 き真面目のものハ単に画法を崩さぬだけで後進の誰彼にも出来るが奇抜 の着想ハ氏の如き老練家に待つの外なしである、以上の外に外人の筆になりし間色画や油画があつたが画面模糊として我々の眼にハ其妙味 を発見し得ない、他の会員諸氏の作ハ総じて技巧の点ハ 進んで居るが意匠ハ別に変つたのがない千遍一律の景色画で甚だ しく拙なのも見えぬ、

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