猥褻画

  • 無名子
  • 東京日日新聞
  • 1900(明治33)/11/14
  • 1
  • 展評

二三年前に黒田清輝の描いて白馬会へ出した智、感、情と題したる製作よりして、裸体画の問題が一時やか ましくなり、此図の写真を掲載したる美術評論といふ雑誌の其号は発売を禁止せられ、其後、明治美術会常備陳列 館の列品中にあつた裸体画も引込まされたりなんかして、大分猥褻論の取締りがやかましくなつたことであつたが、近来 またどうした事やら此禁が少し弛緩しかゝつて来たらしい。これは勿論その時々の當路の人の手加減にも依ること であらうが、警保の方針がさう一定しないことでは困る。たとへば、此秋の白馬会に出た藤島の浴後の美人の如き ものは、明治廿八年の内国博覧会に、これも黒田の裸体画が公然陳列を許された例から見れば、展覧会に列べても一向差閊へはないやうなものだが、智感情の図の公開を否定したる美術評論の発売禁止のことから考へて見れば此浴後の 美人の図は、公会に陳列して衆人の目に触れしめることは許すべからざる例ではあるまいか智感情の図と浴 後の美人とを較べて見るに、後者は浴衣を以て股のあたりを蔽ふてはあるけれども前者の体操じみた不自然な形 とは違つて、至極自然な処であるから、実感に富む者をしては或は却つて猥褻の念を惹起せしめ易いかも知れない。前者を 禁止する位ならば、後者も許されない寸法ではないか。何故に彼を禁じこれを許せるにか。
今一ツは明星といふ雑誌の表紙はまだ善いが、中の挿画に男女の接吻を影で示した図があつた。これは少々ポンチ画ではあるけれども、猥褻 といへば更に猥褻ではあるまいか。これも智感情の写真版の禁止される位なら、矢張無論発売を禁ずる値があらうと思ふ。
其外の印刷物をも広く見たなら、なほ此類があるかも知れぬ。兎に角、裸体画厳禁の可否の論は別の 事として、たゞこれに対する當路の処分の、時に依りて緩急の著しいのは、まづ以て攻撃せざるを得ずだ。許すなら許す、 禁ずるなら禁ずる、または如何なる程度までは許否するといふ、一定の標準が立たないのは、偶ゝ當路行政官の 無定見無方針を示すものであるのみならず、美術家は甚だ迷惑を感じる場合がある。邪推かも知れぬが、 これを許否する手加減の間には、其画の作者とか提出者とかいふ人の地位勢力などの如何が、大に影響す るのではあるまいかとも想はれる。或は初めの作者提出者が黒田でなかつたなら、頭から議論なしに拒絶さ れたかも知れまい。展覧会に実物の陳列を許して置きながら、其写真を雑誌に載せたのを売らせないの も、少し変なことではあるまいか。それからまた當路官吏の注意が、裸体画問題の社会がやかましい時と静 かな時とで厚薄の相違がありはせぬかとも想はれる。上に述べた図画の禁じられないのは、現今此問題が下火になつて居るから、注意を怠り処分を忘れて居るではあるまいか。若しさうなら職務を怠るといふもの だ。美術の展覧会などは、どうかすると警察官が一度も見に来ないこともあるらしい。是は開会の前位に臨検し なければ、風俗取締が美術製作の上に励行されないわけだ。芝居に巡査が詰めるも同じ道理で ある。然し裸体画猥褻画は一切禁じないといふならそれにも及ばぬことだが、時々は禁じることがある位な ら、常に検察して而も寛厳のないやうにして貰ひたいものである。

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