白馬会の第五回展覧会

  • 無名子
  • 東京日日新聞
  • 1900(明治33)/10/21
  • 1
  • 展評

陳列の工合から装飾から諸事余程整ふて居る。殊に観る人ごとに目録を一冊づゝくれるなどは誠によく行届いたこ とだ。誰筆何の図売価何円などゝといふうるさい附札を廃して番号札だけ体よくつけて、目録と合せて見るや うにしたのは最も宜しいどの展覧会よりも一番整頓進歩して居る。留守役の安藤、藤島、長原はじめ正会員諸氏の苦 心の甲斐ありだ。そこで貰つた目録と引合せて段々見て行くと、まづ一番入口に三宅克己の水彩画がある。二十八枚とは能く描きためた。水彩画専門といふは殆ど此人が初めてだらう。随分細巧なものだ。だ がどうも西洋で描いて来たと想はれるハムステツドの景色朝夕の一枚などが一番旨いやうに見えるは妙だ。 其他は平遠の景色雪の朝、雨雲などが善いやうだ。一体がちと細工過ぎてこぢついた趣がある。次の二三人別に 是といふほどのも見えず。中沢の夏と題したる女が植木鉢を持てる図人物は人形じみて旨くもないが、周囲の草は一寸善 く出来て居る。原田竹二郎の萩園一寸宜し、スケツチでは雪景の三枚が見られる。山本森之助、大分腕のある方なり、それにスケツチ でも最も骨が折つてあるから何れも見所あり。湯浅の諸作またこれと相如くべし。此二人なかなかのやり手後来有 望のものとす。長原の子守、大いに見るべき大作なり。草原は軽く出来たれど、影の青色が少し目に 障る。右に日傘を持ち左に蜻蛉さしの竿持ちたる、あべこべにしたき心地す、小林の「かとづけ」是も屈指の大 作なり。奮発のほど感ずべし。たゞ人物が一体に少しぎこつちない気味を脱せず、見返りたる少女 が殊にさうだ。スケツチには色のくすみたるが多し。黒田の諸作皆小品。肖像の老人髯殊に善し。次は藤島。風景 といふ大きな画、どこやら図取が前回に見たベルギイ人の作の面影あり。色は美しいのを列 べたといふ気味。余り上出来の方に非ず。浴後の美人、人体は慣れたものとて大分旨い。衣物の模様少 しも感心せず金盥は宜しけれど腰掛が変な物にて相応ぜず。何とか工夫のありたかつたものなり。小品の中にては菜の花な ど勝れたる方なるべし。安藤の三保の残暉は景色画中の雄鎮さすが老成の腕なり。北連蔵の富士 に善き作あり。雨といふのも面白し。篦画得意と見ゆ矢崎のでは鸚鵡を教ふる図を推すべし。次に洋人オールリツクとや ら、光琳崇拝と聞きしが、成程水彩画みな光琳めきたり。余り讃めたことにあらず。次の見ものが白瀧の大幅の花嫁なり。美しい画なり。是 で今少し人物に活気あらばなかなかの価打物なるべし。スケツチにては舞子の松原殊に善く出来たり。東寺の雪後、菜の花などこれに亜ぐ。
画はまづざつとこんな物なり。彫刻は菊地の肖像が二ツあるばかり、肖て居るなる べし。たゞ顔の道具が一体に大き過ぎ、こなしが手あらく深過ぎて、はゞつたきやうに見えるが此人の風なり。
(白馬会略評 終)
美術協会の展覧会も既に始まつたから、明日は行つて見て、出揃つて居たなら、これに続いて評判すべし。美術院、丹青会も程なく開 くといふ。無名子なかなかの大繁昌。いくらでも来い。

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