東台の秋色(二)

  • 滕六
  • 萬朝報
  • 1898(明治31)/10/25
  • 1
  • 展評

田中寅三の出品ハ、光線を受くること最も劣等なる位置に掲出せられたる を以て、筆者の為にハ八分の損なり、尤も取出していふ程の作とも見受 ず。椎塚修房の帰舟ハ稍人の感を曳けり。原田竹二郎の漁童の大図と、少女の大図とハ、左右両端に掲げられて、一ハ海浜、一ハ屋裡の別あり、然 して其顔色の何ぞ能く相似たるや、後世鑑定家を待たずして同一人の作たるを証すべし。
這般の筆を以て千童千女を描かバ、悉く兄弟姉妹となるべく、四海同胞とハ言へ、夫ハ余りに嬉しからず。小林萬吾の馬士 ハ、旧套を脱し得ずして能く旧套を学び得たるものか、芝居の書割めきて活神の筆力なしヲルタア、グリフヰンの肖像ハ、他国人にして他国人を画 くに、深く其の人情風俗に注意すべき好殷鑑なり。黒田清輝が大小取交ぜて三十七図の出品ハ、扠も扠も斯会の為めの盡力か、将又御閑暇のお加減か、例の昔語も今回工を終へ、小督の名を剥奪して大々的異彩を放つ、偉なりとハ言ふべからずして、異なりと我ハ言はんとす。僧 も可なり、芸子を連れたる客も可なり、仲居も可なり、舞子も可なり、草 刈の女も可なり。と箇々に見来りて後是を一図に篭め、一の昔語 の図として見る時んバ、人物の位置態度、支離滅裂にして■然たらざるを得 ず、豈夫異ならずや。光線の如き、陰影の如き、又之に伴ひ、遠 く見せたる寺門に至つてハ、決して紫派総大将の筆とハ受取れ ず。落葉掃くなる僧の袈裟掛けたるハ如何に、斯くせでハ画にならざりしか。掻き集めた る落葉に火を放ちたるハ誰の悪戯ぞ、京都人なりとて豈夫煙草の火に 早附木一本をバ惜まざらまじ。要するに物語を見せんとして僧を出し、小督 を聞かせんとして僧に仲国の態度を顕さしめ、僧を出す為に落葉を掃かしめ、掃かしめたる落葉の用なき為に、思ひ切つて火を放ちたるならん。我 ハ一年間の肩の凝の、待つに効なくて白烟一片と化し去りたるを惜 しむ。次に言はんとするハ少女膳を拭ふの図なり、此貧家に黒塗の本膳有 りし不注意を咎むると共に、物淋しの図に同情を表し。物淋しの図の婦人が何の為に沙中に憩ひて、何を思ふかを疑ふと共 に、我ハ無邪気に少女枝を折るの図を賞揚せんとす。

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