白馬会評

  • 亜丁生
  • 東京日日新聞
  • 1898(明治31)/11/15
  • 1
  • 展評

同会の評は已に各社の紙上に現はれぬ、今にして之を呶々する稍時機に後れたるの感なき能はずと雖も、各社の評 たる多くは出品出揃以前にして未だ同会の全豹を窺知し得たりと言ふを得べからずされば全部出揃ひたる今日に於い て其概評を試みむも亦た甚だ當らずとせじ
今回は室内の装置に於て光線の直射を避くる工風を為し画面の配置 に於て周密なる注意を用ゐたる等著しく其整頓を示し、之を明治美術会に比する時は異常なる進歩に驚かざるを得ず 明治美術会の今や萎靡振はざるに至れりとは専ら人の伝説する所、今白馬会を見るに及んで評者も亦た其感を同じうした り、蓋し白馬会は必ずしも名を明治美術会と争ふの意あるにあらざるべきも美術会の現状斯くの如きの時 に於て白馬会の進歩は更に著しく人目を惹くと同時に、独り隆々として其名を成すに至るべき乎
画に於ても会一会ごとに 進歩を示し来れり、特に今回は何れも大幅に勉めたるが如し、即ち黒田氏の小督、久米氏の残暉、小林氏の馬子、藤島氏の池畔、湯浅氏の漁 家、白瀧氏の休息等是れ其大なるもの更に各氏の主もなる作に就き少しく謾評をれば広瀬勝平氏の作は磯を以て最とす試む描法他 作と異なりて佳作たるを失せざれど無茶に塗抹せし痕跡の見ゆるは些か欠点と言ふべし
和田英作氏は頗る多数に出品したる も総て昨年に比し見劣りのせらるゝは遺憾なり、若し稍々探るべきものを挙げば、機織ならむ三保の富士、富士川の富士を賞する 人もあれど富士の薄き為め何となく画の軽く見ゆるは評者の服し難き所(未完)

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