黒田清輝氏の裸美人談

  • 時事新報
  • 1897(明治30)/12/12
  • 9

社員は昨日某所に於て黒田清輝氏と邂逅す問ふに裸体画禁止説の一件を以てす氏曰 く若し警保局に於て一般の裸体画を禁ぜんとすること実ならば日本官吏の余りに無能なるを惜まざるべからず画の猥褻に渉ると否とは必ずしも衣服を纏ふと絡はざるとに 関せず衣服を纏へるものといへども画様の如何に依りて猥褻となるべく而し て其猥不猥)は衣の長短大小に由らざること明かなり元来、俗人の目に視て猥褻か不猥褻か見界の附き易きは文章よりも画を 以て特に然りとす警保局に於て小説を視て風俗を壊乱するや否やを判別する は敢て難きを感ぜざる所なるべく小説且つ然りとせば画の猥不猥を鑑別すること 蓋し易々たらん聞く裸体画の中にて真に美術の模型となるべきものと他の猥褻に 流るゝものとを鑑別するは難事なるがゆゑ寧ろ一般に裸体画を禁ずべしとの説、其筋 に起れりと然るに画が猥褻の意に出るや美術の巧匠に成れりやは常識 あるもの一見して之を知るに難からず若し見界の附き難きを理由として一般に裸 体画を禁ずるが如き妄挙に出づることあらば是れ日本政府が無能無識を世界に表白するものなりと云々、氏は白馬会に出品したる智、感、情の三美人に就きて曰く智、感、情の文 字は少しく當字に似たるが當初、画家の三派なる理想、引証、写実の 意を表さんとして筆を執りたるものに外ならず這は深き意味あるにあらずして理想を智 、引証を感、写実を情に改めたるまでの事なりと

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