白馬会展覧会略評(一)

  • 守中居士
  • 国民新聞
  • 1897(明治30)/11/09
  • 4
  • 展評

天寥廓、気清爽、古蒼の松柏渥丹の桜楓と柏掩映し光彩陸離たる自然美を以て装れたる東台の今日この頃、更に芸術美を以て飾られぬ。日本美術協会第一に開か れ、次て日本絵画共進会開かれ、最後に白馬会展覧会開かれたりき。
白馬会はたしかに進歩しぬ。その未だ明治美術会と別れざりし時や新派の画として見るべ きもの黒田久米両氏の製作を除ては実に寥々たるものなりしなり。爾来日進月歩、別に新派の名の下に旗色を分明にせられてより、白馬会設立せられ其第二回展 覧会を開かれたる今日顧て昨と比す誰かその進歩のあとを認めざらん、誰かまた進歩のはやきを認めざらん。
今回は第一回に比して特殊の者あり。一に製作品 のスケツチに止らずして大作の多き、二に東京美術学校生徒諸子の出品ありこれ等諸子の一年の短日月に拘はらず大に進歩の見ゆる、三に純然たる日本思想を以 て揮亳せられたる裸体画の初めて場に上りしこと、四に外国より出品あることこれなり。是等に徴しても同会の由頭の阿蒙にあらざるを知了するに足らん。而し て今回の盛を致せし所以のもの一は諸氏の技巧の発達したるにもあるべけれど、又看官の眼も慣れては當初の如くひたすら奇異なりとして視るなきに至りし結果 にもよるべけれ。いでや批判を試みむ。
今個人に就きての批評に先ち場を通じていひたきは陳列画の夕陽を写したるものゝ多きと人物を主題とせる絵画の少な きことなり。少数の人より多くの出品を得んと欲せば勢ひスケツチを出さゞるべからざれば、風景画の多き、理の将に然るべき所ながら総数三百余点のうち終に 二十余幅のみ人物画なりといふに至ては吾人は同会の為に憾みとせざるを得ず。この一事後来一段の奮励ありたきことなり。さるにても夕陽画の饒きはいかなる ゆへにか。
場は例に依て整頓し清楚淡雅なり。入場第一眼に入るは今泉一瓢氏の滑稽画なり。一瓢氏の滑稽画に一種の奇才ある世既に定評あり、余更に吾人の 呶々を要せざるなり。今回の出品も鋒鋩鋭利の諷刺寓意の絵画皆妙なり、就中優れたるは物理図解と加減乗除ならむ。さりながら吾人はかゝる絵画の新聞雑誌上 には光彩を添ゆべきも、純正美術品展覧会中に陳列せらるゝは如何あるべきか。吾人は敢て氏の画を悪しといふにはあらず唯この奇才を真面目なる水彩画の上に ても発揮せられなば又好画を得ることあらんを思ひてなり。
入口の突當りに二大幀の揚げられたるは白瀧幾之助氏の「稽古」と「化粧」なり。「化粧」の図可 ならざるに非ず、然れども吾人は「化粧」の濃艶の嫌あるよりは「稽古」の淡雅にして意味多きの妙なるに如かず「稽古」は巾六尺長八尺大にして左方に師匠絃 を弾ずるありこれに対する右方に一少女また三絃をとり一意師に倣はんとす。これに並ひて二三の少娘見台に向ひ歌謡を唱ふ、又一少女あり戸を排して将に入り 来らんとす。これその図の概略なりこれ等各種の人物個々の性情よく活現して描写せられたりき。仔細に看来れば白玉の微瑕なきに非ずといへども全体よく調和 し色彩亦穏和なり、かゝる大作を左程苦心の痕を認めざるまでに描きたるは敬服すべし。氏は実に風俗画に妙を得たるものゝ如し。
曩に第四回内国博覧会に 「待遠し」を出して好評を博し今またこの「稽古」に成功せり、而して又風景画も不可なるに非ず「春の浜辺」の如き陽炎もゆる白沙の高低より軽雲の浮々たる など技巧の妙よく春暖の状を現せり「みぞれ」は筆簡にして景の大気の寒を表せり。

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