通俗美術問答(四)

  • 毒皷堂主人
  • 読売新聞
  • 1896(明治29)/11/18
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問。白馬会展覧会、久米氏出品の中、小女の図これあり。余程変なる彩色を用ひられ候。一種の描きかたに候や。
答。かく画がきても、しか見ゆれバと申し 候へバ、随分無理も通り申すべく候へども、如何にもしか見ゆるやうに作り候ても、差支ハ可無之と、主人も御同感に存じ候。御問ひの画、主人よくハ見覚 え候はねど、大かた新派の独擅なる、一種の色の根調を用ひられ候ひしもの と存じ候。なほ今一度拝見いたし候上にて、御答へ申すべく候や。
次に土鉢に鶏卵 三顆の図とハ何の故事に候やとの御問ひ有之候へども、その図ハ何処に御 座候ひしにや、思ひいで申さず。なほ御一報下され度候。別に淵鑑類函、 サイクロヘヂヤなど引き出すほどの、やかましき故事もなさそうに存ぜられ候。
問。早稲田文学彙報中に、或る洋画家の言を載せ、日本風の髪のぐあひなどハ、我が輩とても日 本画家に及ばず、といひしこと有之候へども、自然を写さむとする洋画家の言とも 覚えず。かゝることも有之候や。 問者 同前
答。これハ御尤なる御意見にて、主人も御同感 に御座候。然しながらその言たる、洋画家が日本画の毛髪の細巧を見て、彼等がいつも暼見のさまを写実するにのみ慣れたる腕に、毛すぢを分くる繊細の技巧にハ、一寸及ばじと、たゞあからさまに思ひたるのみと存ぜられ候。勿論日本画が、少し離れてハ見え分かざるべき髪の毛を、極めて近きなれバいざ知らねど、遠 き人物にも細かに描き候ハ、畢竟ずるに紙鳶の絵に密画を作り遠山 を写して細草を図するが如き愚に同じく候。主人ハその言の意を 取りて、たゞそのばかばかしき細巧にハ及び難しとにも解しおき候はむか。
問。ある洋画家の言 に、天然ハ一日もこれを忽にすべからずといへども、ある時期に達したる後、画人ハ 天然に拘制せられざるを要すと。然らバ自然に無きことも、画家の取ること有之 候や。
問者 同前
答。これハ洋画の修行の慣例よりいでたる言に御座候。洋画を修行するものハ始めハチヨウクなり水彩なりより油絵をかき始め候までハ、たゞたゞ天然模 倣を主として学び候ゆゑ、写実の技巧の成り候までハ、もたれて天然にすがり 候へども、それにてハまことの画にハ御座なく候につき、写生術の成りたる後ハ、天然に拘制 せられぬを要すとの意に外ならざるべく候。拘制せられ候とハ、現実に跼して簡別撰 択の行はれざるをこそ申し候なれ。天然にハ美なるところも美なるものも沢山有之候へども、純美のものハ滅多にハ無之、多少不必要なるもの醜なるものゝ混 じ居り、またハ足らぬことも少しハ有之候へバ、そこらハ作者が前に他にて観察しおきたるものを、記臆の中より取りいでゝ補ひもし、またハよく趣味識を以て省きもして、天然にハ依り、在前する現実にハ跼せずして、純美のものを作り 出だすものと存じ候。されバ模倣の技熟する後、まことの画を作らむとにハ、天然 に拘制せられざるを要すべく候。然しながら修行の始めより、写実の技巧を習ひつゝ、趣味上の撰択簡別を心がけ候はねバ、天然の拘束ハいざとなりてなか なか脱せられ申さず。主人ハ「ある時期に達したる後」と申し候一句だけ省き候かた、 至論に近づき候はむと存じ候。天然になきことを取るべきや否やハ、この言より興こす べき問にハ無之、そハ別に論ずべきことなるべし。一言以てこれに答ふれバ、自然に実 在せぬことも、さもあるべく見ゆる限りハ、美術の料に資りて、勿論差支これ なく候、こハ更に細問の機に接して提唱するところあらむとす。
次に最後の一問ハインプレシヨニストの意義に属し候て、肝要のことにハ御座候へども、その義ハめざまし草と申 し候冊子の上に、鴎外氏のものせられたる、洋画南派と題する文に盡 き候やうに存じ候まゝ、そを御覧可被成候。
因にいふ愚問生君への答、あまり長く相成り候まゝ、竹陰氏の御問ハ次に御答へ申すべく候。

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