白馬会展覧会を見る(続)

  • 白楽生
  • 国民新聞
  • 1896(明治29)/11/15
  • 4
  • 展評

構成
黒田清輝氏筆むかしがたり下絵(二二) 只見る枯骨稜々たる一老僧あり眉を昂げ手を動かして熱心に物語る之を囲んで静かに耳を欹つるは一の嫖客と之が伴へる舞妓歌媛なり抑此老僧何をか語れる傍へなる者亦何をか聴ける此老僧の態度と掻集めて焚かれたる紅葉と後方遠く見らるゝ御陵とによりて観客は相ちに之を推せらるゝなるべしこは洛東紅葉の名所清閑寺の境内にして御陵は実に高倉帝の静かにいます所なりされば其昔此帝の御代とかよ弾正の大弼仲国は小督の局が行へをば尋ねて参らせではやとの御詔に寮の御馬給つて明月に鞭を挙げ西をさしてぞあゆませける程に嵯峨の奥のかたをり戸したる内に琴をぞひきすさまれたるあり少しもまがうべうも無く小督の殿の爪音併も想夫恋の楽なりければ仲国もこしよりやうでをぬき出して暫し吹きならしやがて君の御詔を伝へんとするむかしがたりしかも此古寺の縁起をば説き示めせる図なるは疑ふべくもあらず此老僧がむかしがたりは聴くものらに如何なる感をや与へけん老僧に最も近く立てる舞妓は最も熱心に余念なく聞き惚れ此れが傍に蹲踞したるは煙管を弄びながら老僧が顔を見詰めたり嫖客と之と相携へたる歌媛とは聞つゝも猶ほ其他に何事か相想ふ所あるが如し画家が其作画の上に正しき遠近法を保たるゝと共に又見るべからざる感情の遠近法をさへ示されたるは面白しとやいはん殊にフト何事をか語れるとて耳欹てながら通り過んとする草篭負ひたる一少女を画かれたるが如きは我等只々感服するの外なし此画をなさんが為め氏が歳余を費やして準備せられたる其下絵は木炭画油画数十葉に至り此大作の下絵と共に壁上に掲げられたり其苦心想ふべく又其成技期して待つべきなり
安藤仲太郎氏東寺(五四) 暮靄罩めたるは東寺の塔なるべし麦畑にやあらむ畦畝の并行せるが塔の方に向ひて真直に走りたる右の方より斜に遠山のほの見えたる左側に枯れたる雑木が一叢をなせるよく其主眼なるものを助けて布置頗る穏かなり殊に頭上に横はれる一抹の黒雲は構成の点に於て重きをなせるのみならず其内に言ふべからざる深意を含めるあるを見る画家の観察眼は常に斯くありたきものにこそ
和田英作氏の麦の秋(九八) 満目黄ばみたる麦畑なり其が中央直ちに貫ぬきたる一小径は遠く黒みたる杉の木立に至つて止む曇れる空も遠景も青々したる草も色づきたる畑も草さへ生へむ小径も皆よく其性状を願はせり殊に踏み固めたる地盤は頗る堅固にして心安く歩行するを得るが如き感あり一の動物を見る無く併も人をして不可言の妙味を覚えしむるものは無邪気に着実に、誠実に自然を研究せられたる結果なるべし
小代為重氏の浜辺の砂原(一一二) 夏日酷烈なる日光に曝されたる砂原を写されたり地平線を高く図の上部に置き図面は一望砂原を画き其中央少しく右方に裸体の男児が板子持てるを点ぜられたるは頗る面白し
湯浅一郎氏の佃島夕陽(一八六) こも水平線を高く図面の上部に置けり空を多く画かず水面に映じたる其影を以て之が説明を試ろみられたるは新奇なり
久米桂一郎氏の夏の村落(九二) 山腹は満目の雑木なり山間にはさゝやかなる村落あり遥かに目を放てば一帯の遠山を見る村落の中央に鐘塔あり蓋し由緒ある古刹なるべし其左右点々赤き瓦もて葺きたる屋背の見ゆる画の構成上前景と遠景との調和を得て頗る穏當なり〔未完〕

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