本データベースは東京文化財研究所刊行の『日本美術年鑑』に掲載された物故者記事を網羅したものです。(記事総数 2,817 件)





六浦光雄

没年月日:1969/06/12

 漫画家六浦光雄は6月12日脳出血のため東京都世田谷区の自宅で死去した。享年56才。大正2年2月23日東京の墨田区に生れ、前には漫画集団会員であった。昭和38年第9回文芸春秋漫画賞を受賞した。近年いわゆる漫画の概念が拡大されてきたが、彼の漫画も滑稽さを目的とする従来の漫画と異って、戦後の混乱期における庶民生活の哀歓をうたった一種の風俗画的な傾向が強く、社会派漫画に分類されることもあるが、銅版画のような線の交錯による陰影の濃いその画面は民衆的な正義感にデカダニスムの混り合った独特の雰囲気をもっていた。

宍戸左行

没年月日:1969/02/03

 戦前漫画を描き、戦中より水墨画を主とした画家宍戸左行(本名嘉兵衛)は2月3日悪性腫瘍のため東京都世田谷区の自宅で死去。享年80。福島県伊達郡に生れ、20才ごろアメリカに渡り、自活しながらキャノンなる画家の画熟に通って油絵を学んだ。約8年間の滞米生活中の観察はユーモラスな絵と文で、(平凡社)に「アメリカの横腹」が描かれている。その後毎夕新聞、東京日日新聞(のちの毎日新聞)などに政治漫画を執筆、昭和5年には読売新聞漫画部に入社、15年11月婦人部に属し、18年4月に退社した。この間児童漫画では「スピード太郎」を創作している。第二次世界大戦中に郷里福島に疎開すると水墨による風景を描くことが多く、また晩年は山路閑古著「柳話的釈尊伝」や水野弘元著「経典物語」などの挿絵などの挿絵および雑誌「大法輪」には昭和6-7年来より未完成となった「玄奘三蔵絵伝」を連載して仏教関係の仕事が増加していた。日本漫画家協会名誉会員(参照昭和44年2月14日読売新聞記載、宍戸三沙子「父・宍戸左行のこと」)

麻生豊

没年月日:1961/09/12

 漫画家麻生豊は9月12日に心臓衰弱のため浦和市の自宅で死去した。64歳。彼は1898(明治31)年大分県宇佐郡に生れた。1923(大正12)年より5年にわたって報知新聞に勤務し、1924年から「ノンキナトウサン」を連載し好評を得た。1929(昭和4年)より読売新聞社、1932(昭和7)年より朝日新聞社勤。この間「人生勉強」「只野凡児」を連載し、わが国の新聞連載漫画の草分けの一人となった。

茂田井武

没年月日:1956/11/02

 日本童画会々員茂田井武は、11月2日心臓喘息のため東京都練馬区の自宅で逝去した。享年48歳。明治41年9月29日東京に生れ、太平洋研究所、川端画塾に学んだ。昭和5年フランスに留学、スイス、英国を経て昭和8年帰国、挿絵をかきはじめた。第二次大戦中は報導部員として広東に駐留、のち入隊し中支に転戦、20年帰還した。作品は漫画、児童向絵本物語などで、昭和29年小学館児童文化賞、絵画賞をうけた。「絵本セロひきのゴーシュ」「三百六十五日の珍旅行」などの著書がある。

北沢楽天

没年月日:1955/08/25

 漫画界の長老北沢楽天は、8月25日大宮市の自宅で脳出血のため逝去した。享年79歳。明治9年7月20日生。本籍は埼玉県大宮市。大幸館絵画研究所において松室重剛、堀江正章に師事した。最初横浜の英字週刊誌ボクス・オブ・キューリアスに入社して絵画を担当したが、明治33年時事新報社に入つて漫画を描いて認められた。同38年4月漫画週刊誌「東京パック」を創刊し、漫画の普及につくした。昭和2年から同4年までヨーロッパを巡遊したが、この間も漫画を描いて毎週送り、またロンドンにおいて個展を開催した。帰国後「楽天全集」7巻、「楽天パック」を刊行し、また「家庭パック」を発行した。終戦後は大宮市郊外に隠棲し、筆硯を楽しんでいた。

小野佐世男

没年月日:1954/02/01

 二科会所属の漫画家小野佐世男は2月1日心筋硬塞のため神田駿河台日大付属病院で急逝した。享年48歳、葬儀は漫画集団葬を以て、4日世田谷区の自宅で行われた。明治38年横浜市に生れ、東京美術学校に入学し岡田三郎助の教えをうけた。昭和5年同校卒業後は春台美術に加わつたが漫画の投書が縁で報知新聞に入り漫画で活躍した。戦時中は報道班員としてジャワに従軍し、戦後は女性姿態に独特の筆をふるい、ジヤーナリズムの人気を集めていた。新漫画派集団、出版美術家連盟二科会に属し、著書に「女体戯語」「サルサル合戦」「女神の絵本」等がある。

安本亮一

没年月日:1950/11/06

 漫画家安本亮一は食道癌のため11月6日長野市の自宅で死去した。享年50。明治34年東京浅草に人形師安本亀八の長男として生れ、大正13年東京美術学校彫刻科塑造部選科を卒業した。建畠大夢、池部鈞、岡本一平に師事し、春陽会展、帝展等に入選した。東京朝日新聞社学芸部に嘱託として紙上に漫画を画くなど主として漫画界に活躍した。

村山しげる

没年月日:1949/09/13

 新漫画派集団同人村山しげるは9月13日東京麻布の実兄宅で心臓麻痺のため死去した。享年39。本名を繁といい、明治44年に東京に生れ、新鋭漫画グループ・新漫画派集団等によつて雑誌等に活躍した。

岡本一平

没年月日:1948/10/11

 漫画家岡本一平は疎開先の岐阜県加茂郡に於て10月11日脳溢血のため死去した。享年63。明治19年6月11日北海道函館に生れ、22年大阪に、25年には更に東京に居を移した。36年に商工中学校を卒業し、武内桂舟、徳永柳州、又藤島武二に就き洋画の指導を受けた。39年東京美術学校西洋画科に入学、43年に卒業、尚在学中帝展へ「トンネル横町」を出品入選した。卒業後和田英作の傘下に入り帝国劇場天井画、舞台背景、装置の仕事に携り約1年余を過した。次で45年東京朝日新聞社に入社し、漫画を描き始め遂に漫画を専門とするようになり大正昭和に亘つて活躍した。著書に「世界漫遊」「弥次喜多」「岡本一平全集」がある。

小山内龍

没年月日:1946/11/01

 漫画家、童画家として親しまれていた小山内龍は11月1日疎開先の北海道亀田郡で心臓病のため死去した。享年43。本名を澤田鉄三郎といい、明治37年函館に生れた。上京独学して昭和7年新漫画派集団会員となり。以後漫画、童画にわたつて活躍していた。

谷脇素文

没年月日:1946/04/28

 漫画家谷脇素文は敗血症のため高知県高岡郡の自宅で死去した。享年69・本名を清澄といい、明治11年高知市に生れ、柳本素石に師事、漫画・挿画等を画いたが、特に川柳漫画に独特の画風を持つていた。

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