本データベースは東京文化財研究所刊行の『日本美術年鑑』に掲載された物故者記事を網羅したものです。(記事総数 2,850 件)





菅原精造

没年月日:1937/04/12

 漆芸家菅原精造は4月12日パリ郊外ロスチヤイルド男のシヤンチイユ別荘で持病の肝臓癌の為逝去した。享年54。山形県の出身で、東京美術学校卒業後明治38年渡仏、爾来日本漆芸の伝統的技法を欧洲に伝へパリ工芸界の異色ある存在として認められて来た。有名な仏人漆芸家ジヤン・ジユナンの如きも其の技法は故人の指導に負ふ所多く、両人の協力に成る作品が多数にある。古くから乾漆技法に依る前衛彫刻の製作を試みて居り、其の作品は年々サロン・ドオトンヌに出陳され、特異な作風を記憶されて居たものである。(アトリエ14ノ7に依る)

真清水蔵六

没年月日:1936/06/13

 古陶磁研究家として又製作家としてしられてゐる真清水蔵六は昨秋琉球古窯址の調査に赴いて帰洛後健康すぐれず京都市右京区の自宅で療養中であつたが6月13日午前3時逝去した。享年76。翁は幼名寿太郎、18歳の時初代蔵六の裔を継ぎ、京都五条に在つて夙に茶器の名手として知られてゐた。又古陶磁の鑑識にすぐれ、普く日本、支那、朝鮮の諸窯址を踏査して研究し、遺著「泥中庵今昔陶話」の外「寄陶」「古陶録」「泥中閑話」等の著がある。(陶磁8ノ4より)

石野龍山

没年月日:1936/03/06

 石川県美術工芸界の元老として知られた金沢市の石野龍山は3月6日午前零時半脳溢血の為急逝した。享年77。文久元年金沢に生れ、陶磁器絵工として其の功績多く、昭和6年帝国美術院で推薦され、加賀九谷陶磁器組合顧問、石川県工芸奨励会名誉会員、石川県下出品人奨励会副会長などの職に在り、其の逝去は九谷焼界を初め県下美術工芸界の大きな損失として惜まれる。

赤塚自得

没年月日:1936/02/01

 帝国美術院会員赤塚自得は胃潰瘍を病み、芝区の自宅で加療中のところ2月1日逝去した。享年66。葬儀は同月3日芝教会で行はれた。赤塚家は代々漆芸を以て家業とし、平左衛門を名乗り、彼は七代目に当る。蒔絵を専門とし現代漆芸界の巨匠であつた。明治4年東京市芝区浜松町に生る。同18年狩野久信に就て日本画を、翌年蒔絵を先考に学ぶ。20年勧学義塾の中等科に学んだ。尚明治43年には寺崎広業に就て日本画を、又同45年に白馬会洋画研究会に於て洋画を修めた。明治40年、東京勧業博覧会審査官、東京府美術工芸展の審査員に就任し、大正元年、日本美術協会の審査員に、同12年日本工芸協会の理事となつた。同13年工芸済々会の創立委員となり、昭和2年、日本美術協会展の審査主任、日本工芸美術会の創立委員となり、又帝展及商工省工芸展の審査員を仰付られた。同4年商工省工芸調査会の委員に任命され、翌年帝国美術院会員に任命された。

山本匡士

没年月日:1935/09/03

 名正造、明治28年香川県に生る。大正2年香川県立工芸学校卒、後岩村哲斎に就きて漆芸を学んだ。京都工美展に於ては数回入賞し帝展には昭和9年入選した。京漆園なる漆器工場を経営して居た。享年41。

to page top