本データベースは東京文化財研究所刊行の『日本美術年鑑』に掲載された物故者記事を網羅したものです。(記事総数 2,850 件)





坂本万七

没年月日:1974/04/19

 美術写真を専門とした写真家坂本万七は、4月19日胃ガンのため世田谷区の自宅で死亡した。享年74歳。明治33年1月13日広島県福山市に生れ、私立盈進商業を中退、大正8年武者小路実篤主宰の日向「新しき村」に入った。大正13年築地小劇場の舞台写真を撮り始め、昭和元年には豊島区に桃源社坂本写真場をひらいた。昭和8年より15年にかけ満蒙の古代遺跡を撮影し、また柳宗悦の民芸運動に参加して民芸品を対象に撮影した。 戦後は、一時美術研究所嘱託としてあり、美術研究調査の資料写真撮影にたずさわった。そのほか美術出版物の写真担当として、その活躍は広範囲にわたる。そして彼の自己を没却して専ら作品自体に語らせようとする制作に対する敬虔な姿勢は、斯道の専門家から高く評価されていた。また、戦前満州、中国、朝鮮などに広く撮影旅行をしているが、戦後は昭和41年ギリシャ、ローマなどを巡廻している。写真を担当した主要出版物つぎの通り。「埴輪美」(野間清六聚楽社)「法隆寺彫刻資料第一輯―法隆寺金堂釋迦三尊像」(岩波書店)。「同第二輯―法隆寺宝蔵金銅像」(同上)「日本の彫刻」(美術出版社)「土の芸術」(美術出版社)。「大徳寺」(朝日新聞社)。「薬師寺」(実業之日本社)。「國宝彫像」(徳間書店)。「日本の工芸」(読売新聞社)。「奈良六大寺大観第三巻法隆寺五重塔塑像」(岩波書店)など。

岡田紅陽

没年月日:1972/11/22

 写真家岡田紅陽(本名賢治郎)は11月22日胆嚢癌のため東京虎ノ門病院で亡くなった。享年77才。1895(明治28年)8月31日新潟県十日町市に生れ、1918年7月早稲田大学法律科卒業。1921年より各府県庁や観光機関の依頼で名勝の地を撮影し、以後とりわけ富士山の写真家として国際的にも知られる。社団法人日本観光写真連盟理事長、郵政省審議会専門委員、社団法人日本写真協会常務理事を勤めていた。著書も富士山に関して、ペリカン文庫、朋文堂、社会思想社、雪華社、求竜堂より出版。

野島康三

没年月日:1964/08/14

 国画会会員野島康三(号・熈正)は、39年(1964)8月14日、神奈川県葉山の自宅において死去した。享年75才。明治22年(1889)浦和市に生れ、慶應義塾在学中から写真研究に入り、写真家として成功し、かたわら洋画を春陽会展、国画会展に出品、また大正期、昭和初期には岸田劉生、万鉄五郎、富本憲吉、梅原龍三郎などの後援者・蒐集家として美術界に貢献した。略年譜明治22年(1889) 2月12日銀行家野島泰次郎の長男として浦和市に生れる。明治38年 慶應義塾普通部に入学。明治40年 写真を始める。第2回写真品評会、東京写真研究会第1回展に出品する。明治43年 東京写真研究会に入会する。大正元年 病気のため慶應義塾大学を退学する。大正4年 三笠写真館を開設する。大正8年 兜屋画堂を開設し、関根正二、村山槐多の遺作展を開催するとともに、中堅作家の発表の場とする。大正9年 兜屋画堂を閉鎖する。三笠写真館を移譲し、野々宮写真館を東京・九段下に開設する。大正11年 東京小石川竹早町の自邸を開放して、岸田劉生、万鉄五郎、小林徳三郎、富本憲吉などの個展を開催する。大正13年 第2回春陽会展に洋画を出品し入選する。昭和元年 国画創作協会の第2部(洋画)開設に関与し、油絵を出品して同会会友に推される。日本写真会第2回展に富本憲吉、柳宗悦の肖像を出品する。昭和2年 第6回国画創作協会展に出品する。野島主催の野々宮写真展を開催。昭和3年 国画創作協会第1部解散し、梅原龍三郎が第2部を国画会と改称して発足するのを助け、評議員として参加する。昭和4年 国画会に裸婦など出品。昭和7年 自費を投じ写真雑誌「光画」を発刊。伊奈信男、木村伊兵衛、中山岩太などなど編集に当り近代写真の樹立を目ざす。小石川自邸に李朝陶磁器展及び日本古民芸展を開催。昭和8年 写真の個展開催(銀座紀伊国屋ギャラリー)12月「光画」廃刊。昭和9年 銀座三昧堂にて写真の個展を開催。昭和10年 慶応大学カメラクラブ顧問および全日本写真連盟委員となる。昭和11年 福原信三夫妻とハワイ旅行。昭和14年 福原信三と国画会に写真部を創設。昭和28年 第2回写真の日(6月1日)に日本写真協会より表彰される。昭和38年 日本フォトセンター(株)相談役としてパークスタジオ建設を後援。昭和39年 8月14日神奈川県葉山一色の自邸で永眠。75才。11月23日より1週間有楽町フォトサロンでフジ・フィルムの協力と国画会、日本写真会、野々宮会、一色会の共催によって野島康三回顧遺作展を開催した。なお故人の遺志により、一美術愛好家として国画会の絵画、彫刻、写真、版画、工芸の5部門に「野島賞」を設定した。

中山岩太

没年月日:1949/01/20

 全日本写真連盟理事、国画会同人中山岩太は1月20日脳溢血で死去した。享年55。明治28年福岡県に生れ、大正7年東京美術学校写真科を卒業した。同年渡米して加州美術学校に学び、ニユーヨークで開業した。更に大正15年渡仏し、フエミナ誌の嘱託として活躍した。昭和2年に帰朝、同4年芦屋に移り、構成的な写真その他多くの試みを発表していた。

福原信三

没年月日:1948/11/04

 日本写真会々長、国画会同人福原信三は脳溢血のため11月4日品川区の自宅で死去した。享年66。明治16年東京に生れた。日本写真会を主宰し光とその階調を唱えて俳味を写真に取り入れようとした。日本美術協会第一一部委員もつとめた。

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