本データベースは東京文化財研究所刊行の『日本美術年鑑』に掲載された物故者記事を網羅したものです。(記事総数 2,817 件)





新沼杏一

没年月日:1955/03/05

 春陽会々員新沼杏一は、3月5日心臓麻痺のため逝去した。享年46歳。明治42年4月22日北海道に生れた。札幌第一中学校を卒業後上京、長谷川昇に師事すると共に春陽会研究所に学んだ。昭和6年はじめて春陽会に入選、その後毎回出品し、同11年春陽会賞を受け、同12年会友に推された。同18年から20年まで出征した。同22年春陽会々員に推挙され、同22年会務委員、研究所委員となつた。その初期の作品に「アッパッパの人達」「夜の果実店」「アクロバット」「ジンタ行進」「南瓜」があり、後の作品に「基本舞踏」(昭和25年連合展)等がある。

赤城泰舒

没年月日:1955/01/31

 元文展審査員、光風会々員赤城秦舒は、1月31日脳出血のため東京都新宿区に於いて没した。享年66歳。明治22年6月30日静岡県駿東郡に生る。同37年一時神奈川県葉山に移り、翌年父の郷里福島県に帰住した。同39年出京して大下藤次郎の内弟子となり、水彩講習所と太平洋画会研究所に学んだ。同40年日本水彩画会研究所新設と共に同所に転じ、大正2年まで同会幹事をつとめながら修業した。明治42年第3回文展に「高原の朝」が初入選し、その後文、帝展、二科展、光風会展、日展等に多くの水彩画を出品した。大正2年同志と共に日本水彩画会を創立し、同7年には光風会々員に推され、昭和18年新文展の審査員となつた。また大正10年から長い間私立文化学院の教師をつとめ、昭和17年以来女子美術専門学校の講師となつて後進を指導するなど美術教育のためにもつくした。著書に「水絵の手ほどき」(昭和4年、博文館)がある。

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