橘天敬

没年月日:1984/06/01
分野:, (日)

日本画家橘天敬は、6月1日午前零時30分胃ガンのため神奈川県小田原市の山近病院で死去した。享年76。本名中山義文。明治40(1907)年福岡県飯塚市に生まれる。大正11年上京し、昭和8年より翌年にかけてインド、ヨーロッパ等を巡遊する。その後11年に結成された新構造社の会員となり、「降魔」(12年)「歓喜」(13年)などの作品を発表、この頃は園部香峰と称している。15年川口春波と共に大政翼賛と日本美術の海外進出を掲げ日東美術院を結成、これを主宰し、16年の第1回展に「立正安国」を出品する。戦後静岡県白糸に松影塾を開き25年橘天敬と改号する。横山大観に私淑し、障屏画の大作を中心に制作、「富岳雲海之図」(27年)「唐獅子の図」「牡丹の図」(共に36年)「風神雷神図」(37年)「春琴の譜」「和楽之図」(共に45年)「不動明王図」など豪放な作風の作品、幻想的な「牡丹の図」(36年)「四方の海」(45年)、清雅な「清流・鱒之図」(35年)など、画壇を離れ極めて個性的な作品の制作を続けた。また「清生楽々天地之間」(45年、テキサス州、パンハンドル・プレンズ歴史博物館蔵)「風神雷神図」(ワシントン、フリア美術館蔵)など海外に所蔵される作品も少なくない。40年明治神宮参集殿、45年東京美術倶楽部で個展を開催、外国での個展も行なっている。

出 典:『日本美術年鑑』昭和60年版(250頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「橘天敬」『日本美術年鑑』昭和60年版(250頁)
例)「橘天敬 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9996.html(閲覧日 2024-04-19)
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