麻田辨自

没年月日:1984/10/29
分野:, (日)

 晨鳥社顧問、日展参事の日本画家麻田辨自は10月29日午前4時、肝不全のため京都市上京区の京都府立医大附属病院で死去した。享年84。明治33(1900)年12月14日京都府亀岡市に生まれ、本名辨次。大正7(1918)年京都市立絵画専門学校に入学、在学中の10年第3回帝展に旧姓中西辨次の名で「洋犬哺乳」が初入選する。13年卒業と共に研究科に進学、昭和2年より麻田辨次の名で帝展に出品している。4年西村五雲に師事し、帝展と共に五雲画塾の晨鳥社展にも出品、また創作版画も手がけ、5年第11回帝展に日本画「こな雪の朝」と共に「燕子花其他」の版画作品を出品する。戦前の作品としては9年第15回帝展「南瓜畑」、12年第1回新文展「たにま」、15年紀元二千六百年奉祝展「白秋」などがあるが、概して師五雲風の練達した画風の小品に佳作を見る。13年師五雲死去の後暫時低迷するが、戦後、風景画に新境地を開き、25年第6回日展「樹蔭」が特選、27年第8回日展「群棲」が特選・白寿賞を受賞。28年以後たびたび審査員をつとめ、34年第2回日展「風霜」は文部大臣賞、更に36年第7回日展出品作「潮騒」により翌年第21回日本芸術院賞を受賞した。33年より日展評議員、47年理事、52年参与、55年参事となり、52年より名を辨自としている。また晨鳥社顧問をつとめ、38年、48年の2度にわたりヨーロッパを訪遊する。49年京都市文化功労者、50年京都府美術功労者となる。著書に『巴里寸描』(52年求龍堂)がある。

主要出品歴
大正10年 第3回帝展 「洋犬哺乳」
大正11年 第4回帝展 「遊鶴図」
大正15年 第7回帝展 「鷲」
昭和2年 第8回帝展 「花鳥」
昭和5年 第11回帝展 「こな雪の朝」「燕子花其他」
昭和6年 第12回帝展 「洋犬図」
昭和7年 第13回帝展 「グレーハンド」
昭和9年 第15回帝展 「南瓜図」
昭和11年 第1回文展鑑査展 「土に遊ぶ」
昭和12年 第1回新文展 「たにま」
昭和13年 第2回新文展 「霧雨」
昭和14年 第3回新文展 「花かげ」
昭和15年 紀元二千六百年奉祝展 「白秋」
昭和18年 第6回文展 「澤辺」
昭和21年 第2回日展 「馬」
昭和23年 第4回日展 「たにま」
昭和24年 第5回日展 「暮雪」
昭和25年 第6回日展 「樹蔭」(特選)
昭和26年 第7回日展 「樹間」(無鑑査)
昭和27年 第8回日展 「群棲」(特選・白寿賞)
昭和28年 第9回日展 「澗」(審査員)
昭和29年 第10回日展 「樹園」
昭和30年 第11回日展 「飛鴨」(依嘱)
昭和31年 第12回日展 「水光」(審)
昭和32年 第13回日展 「沼辺」(依)
昭和33年 第1回新日展 「新樹」(評議員)
昭和34年 第2回新日展 「風霜」(文部大臣賞、審、評)
昭和35年 第3回新日展 「魚紋」(評)
昭和36年 第4回新日展 「沼」(評)
昭和37年 第5回新日展 「鴛」(審、評)
昭和38年 第6回新日展 「無月」(評)
昭和39年 第7回新日展 「潮騒」(評)
昭和40年 第8回新日展 「山湖」(評)
昭和42年 第10回新日展 「夕虹」(評)
昭和43年 第11回新日展 「暈」(評)
昭和44年 改組第1回日展 「曲水」(審、評)
昭和45年 改組第2回日展 「飛鴨」(評)
昭和47年 改組第4回日展 「虹立つ」(審、理事)
昭和48年 改組第5回日展 「遠雷」(理)
昭和49年 改組第6回日展 「馬」(審、理)
昭和52年 改組第9回日展 「静謐」(参与)
昭和53年 改組第10回日展 「聖火」(参与)
昭和54年 改組第11回日展 「唐崎之松」(参与)
昭和55年 改組第12回日展 「暮雪」(参事)
昭和56年 改組第13回日展 「藤なみ」(参事)
昭和57年 改組第14回日展 「樹木」(参事)
昭和59年 改組第15回日展 遺作「樹下」(参事)

出 典:『日本美術年鑑』昭和60年版(256頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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