河野秋邨

没年月日:1987/12/03
分野:, (日)

 社団法人日本南画院会長・理事長の日本画家河野秋邨は、12月3日午前6時50分、急性心不全のため京都市上京区の自宅で死去した。享年97。明治23年8月8日愛媛県新居浜市に生まれて本名循。明治40年京都に出て、45年京都の田辺竹邨に師事し、南画を学ぶ。大正4年日本美術協会に出品した「赤壁舟遊図」が伏見宮買上げとなった。同6年第11回文展に「夏雨新霽」が初入選、帝展にも15年第7回展より入選し、昭和2年第8回帝展「月下敲門」、3年第9回「山光欲暮」などを出品する。この間、大正10年水田竹圃らと発起し、富岡鉄斎を顧問として、田辺竹邨、山田介堂、池田桂仙ら京都南画壇の元老とともに日本南画院を結成。同人として出品する一方、その運営にあたる。同院は昭和11年に解散となったが、松林桂月矢野橋村らとともに35年日本南画院を再興、理事長となった。また大正12年中国を巡遊して以後、たびたび中国、朝鮮半島に渡航。戦後43年にはアメリカ各地で講演と実技指導を行なう。日本南画院再興後は、46年パリ、47年ボストン、53年オーストラリアのシドニー、キャンベラ、58年ブエノスアイレスなどで日本南画院展を開催。このほか、57年日中国交回復10周年記念合同展、58年、60年の日ソ合同美術展、61年日中ソ三国合同展の開催など、国際文化交流にも大いに尽力した。「寒影湛」「寒風嶺」(以上40年)、「富獄騰霊」「幻想★湖」など大作を多く描き、近年は「コーカサス紀行」など、ソ連コーカサス地方の風景を描いている。51年日本学士会名誉会員となり、59年京都府文化功労賞を受賞した。没後の同年5月中国東方美術交流協会より最高栄誉賞を受賞した。

出 典:『日本美術年鑑』昭和62・63年版(337頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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