森村宜永

没年月日:1988/05/04
分野:, (日)

 日本画院顧問の日本画家森村宜永は、5月4日午後4時37分、直腸がんのため名古屋市中村区の鵜飼病院で死去した。享年81。明治39(1906)年6月10日名古屋市に生まれ、本名行雄。東京美術学校在学中より、画才を見込まれて名古屋の画家森村宜稲の娘婿となり、稲門と号す。昭和4年東京美術学校を卒業し、松岡映丘に師事する。同4年第10回帝展に「砂丘」が初入選し、以後5年同第11回「爽空」、6年第12回「志摩の磯わ」、7年第13回「採鮑」、8年第14回「沼」、9年第15回「雨」と連年入選。海辺や水辺の風景に多く取材した大和絵作品を発表する。11年文展鑑査展に「駿牛」、12年第1回新文展に「新樹」を出品。13年義父宜稲が死去したのち、「實と花」を出品した14年第3回新文展以降、宜永の名で出品している。また昭和10年映丘が盟主となって結成した国画院は、13年映丘が死去したのち展覧会活動を休止、国画院研究会として存続したが、同会にも会員として参加している。戦後、能を多く題材とした作品を制作。日展には24年より出品し、同年第5回「秀吉の能」、25年第6回「海のそよ風」、26年第7回「雲影」、27年第8回「熊野」、28年第9回「隅田川」、29年第10回「寂光院」、30年第11回「楊貴妃」、31年第12回「鏡の間」、32年第1回新日展「花」、33年同第2回「鶴」などを出品している。一方、28年日本美術協会展でやはり能を題材とした「黒塚」により日本美術協会総裁賞を受賞。また日本画院にも出品し、29年新同人に推挙された。のち同院顧問もつとめていた。

出 典:『日本美術年鑑』平成元年版(263-264頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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