廣瀬不可止

没年月日:1983/08/15
分野:, (彫)

二科会員の彫刻家廣瀬不可止は8月15日午前6時11分、食道ガンのため福岡市の福岡大学病院で死去した。享年79。明治36(1903)年12月4日、福岡県三井郡に生まれる。同43年福岡市警固尋常小学校に入学し大正5年卒業。同12年県立福岡中学を4年で中退して上京する。看板屋や、昭和2年ころ安永良徳、サトウハチローなどによってつくられたラリルレロ玩具製作所などで働きながら絵を学ぶ。昭和6年頃帰郷し一時博多人形師に入門。この頃から独学で彫刻を始める。同8年第20回二科展に「女」で初入選、以降同展に出品を続け、同25年同会友、同28年同会員となる。福岡にあって制作し、同9年二科西人社を創立したほか、福岡文化連盟、九州文化協会、福岡美術協会など多くの地元団体に所蔵し、郷里の美術文化の発展に尽くした。戦前は「女の首」(1935年二科展)「農婦」(1943年同展)など具象的作品を制作したが、戦後抽象に転じ「対」(1952年二科展)「歴史」(1967年同展)などの主題を幾何学的形体によって表現している。1970年代以降は再び具象的作風に転じ、簡略化した人体像による「二人」(1973、75年二科展)「立」(1980、81年同展)などの作品を制作した。木、石膏、和紙など多様な素材を積極的に使用した点でも注目される。

出 典:『日本美術年鑑』昭和59年版(315頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「廣瀬不可止」『日本美術年鑑』昭和59年版(315頁)
例)「廣瀬不可止 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9941.html(閲覧日 2024-03-29)
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