昆野恒

没年月日:1985/05/03
分野:, (彫)

 日本の抽象彫刻の先駆をなし、独自の制作を続けた彫刻家昆野恒は5月3日午後1時33分、肺がんのため東京都世田谷区の関東中央病院で死去した。享年69。大正4(1915)年9月23日仙台市に生まれ、宮城県立仙台第二中学校を経て福岡高等学校文科乙類に入学。同校を中退して東京美術学校彫刻科塑造部を昭和14(1939)年に卒業する。朝倉文夫北村西望らに師事。同23年自由美術家協会会員となる。同28年東京国立近代美術館で開かれた「抽象と幻想」展に「踊り」を出品して注目され、同30年同館主催の「19人の作家」展、同32年の「現代美術10年の傑作」展、同34年の「戦後の秀作」展に招待出品。同34年日本美術家連盟会員となる。同年秋自由美術家協会を退会。同43年渡欧しイタリア、スペイン、フランスを巡遊する。同30年以降、現代日本美術展、日本国際美術展、集団現代彫刻展に出品し、一時期現代日本彫刻展にも出品。初期の「踊り」のシリーズは人体の動きを鋭く観察し動勢を示す造型的要素を抽出する研究から生まれ、同29年作「生長の形態」などの代表作へつながる。同30年代中期から紙や木など素材の多様化が試みられ、40年代には動きのある柔軟で有機的な形態が多く見られる。50年代に入ると作風は柔らかみを残しながら幾何学的に整えられた形によって構成されるようになり、この時期の代表作に「さなぎのような形」、絶作となった仙台駅前広場のモニュメント「青葉の風」がある。日本美術家連盟においては、昭和47年より52年まで常任理事、同55年理事、57年委員をつとめた。
自由美術展出品歴-第13回(昭和24年)「首」、14回「午後」、15回(同26年)「海」、16回「芽」「立像」、17回「踊り-遊び」「海」「海-小舟」「雨-マリオネット」、18回「生長の形態1」「生長の形態2」「横たわる形態」、19回「試作」、20回(同31年)「いるか」「風に向う」、21回「おどりNo.14」、22回「まつり」「ものがたり」、23回「白いトルソ」

出 典:『日本美術年鑑』昭和61年版(252-253頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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