北村西望

没年月日:1987/03/04
分野:, (彫)

 長崎の平和祈念像などで知られる文化勲章受章者の彫刻家北村西望は、3月4日午前8時58分、心不全のため東京都武蔵野市の自宅で死去した。享年102。明治17(1884)年12月16日長崎県南高来郡に生まれる。長崎師範学校に進むが、病気のため中退し、36年京都市立美術工芸学校彫刻科に入学。40年同校を首席で卒業し、同年東京美術学校彫刻科に入学、同期に朝倉文夫建畠大夢がいた。45年にこちらも首席で卒業する。この間、在学中の41年第2回文展に「憤闘」が初入選し、42年第3回文展「雄風」、44年同第5回「壮者」はともに褒状となった。さらに、大正4年第9回文展で「怒涛」が二等賞、翌5年同第10回「晩鐘」は特選を受賞、6年第11回文展に「光にうたれた悪魔」を無鑑査出品する。帝展では大正8年第1回展より審査員をつとめ、14年には弱冠40歳で帝国美術院会員となった。また大正10年東京美術学校教授となり、昭和19年まで後進の指導にあたった。このほか、大正8年曠原社を組織し、同11年西ケ原彫刻研究所を開設、昭和8年には東邦彫塑院の顧問となるなど、彫刻研究に没頭する。戦前は「寺内元帥騎馬像(寺内正毅)」(大正11年)、「児玉源太郎大将騎馬像」(昭和13年)、「橘中佐」「山県有朋元帥騎馬像」(昭和5年)など、勇壮な男性像で戦意高揚を意図した作品を手がけるが、戦後は平和や自由、宗教などを題材に制作。29年第10回日展「快傑日蓮上人」や、4年がかりで制作した長崎の「平和祈念像」を30年に完成する。このほかにも、広島市民のための「飛躍」など多くの平和祈念像を制作した。また戦後は日展に出品、44年より49年まで日展会長をつとめ、49年日展名誉会長となったほか、日本彫塑会にも出品し、37年名誉会長となっている。22年日本芸術院会員となり、33年文化勲章を受章、文化功労者となる。また28年武蔵野市の都立井の頭公園内にアトリエを建築、東京都にその後の寄贈分も合わせ計約500点の作品を寄贈し、作品は井の頭自然文化園の彫刻館に陳列される。37年武蔵野市名誉市民、47年長崎県島原市名誉市民、55年名誉都民となった。61年12月に風邪をひいてから静養していたが、62年1月に完成した板橋区役所新庁舎前の「平和を祈る」が絶作となった。

出 典:『日本美術年鑑』昭和62・63年版(328-329頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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