高田博厚

没年月日:1987/06/17
分野:, (彫)

 求道的制作で知られた彫刻界の長老、高田博厚は6月17日午前1時5分、心不全のため神奈川県鎌倉市の鈴木病院で死去した。享年86。明治33(1900)年8月19日石川県七尾市に生まれ、父の郷里福井で育ち福井中学を卒業。大正7(1918)年絵を学ぶために上京し、高村光太郎、岸田劉生を知る。同8年東京外国語学校イタリア語科に入学。光太郎との交遊からロダンの作品にひかれて彫刻を試みるようになり、同10年東京外国語学校を中退。翌年コンディビの『ミケランジェロ伝』を翻訳し出版。昭和2(1927)年光太郎に促されて大調和展に初出品。同年光太郎らと東京府下牟礼(現・三鷹市)に「新しき共産村」を建設するが失敗。同4年国画会展に参加し「トルソ」など10点を出品するが、「無産者新聞」の記者らをかくまったとして逮捕され、同6年単身パリに渡る。ルオー、ロマン・ロラン、マイヨールらと交遊し、サロン・ザンデパンダンに出品。同10年国画会会員となる。12年パリ日本美術家協会を設立し、第二次世界大戦中も滞欧して、15年毎日新聞嘱託となり、パリ、ヴィシー特派員をつとめ、また、パリのレジスタンス運動を支援する。滞欧中はロダン、マイヨールらを研究して西欧彫刻界の動向を評論や自らの制作を通じて紹介し、日本に新風を吹き込んだ。同32年、28年ぶりに帰国するに際し滞欧作を全てこわし、東京にアトリエを構えて制作を再開する。37年新制作協会会員となったほか、日本美術家連盟委員、日本ペンクラブ理事をつとめ、39年には東京芸術大学講師をつとめる。41年鎌倉に転居。明治44年に洗礼を受けてクリスチャンとなり、インド独立の父マハトマ・ガンジーと滞欧中に出会ってから交友を深め、その救ライ事業に共鳴して無償でガンジー像を制作するなど、求道の人として知られた。代表作にロマン・ロラン、ルオー、川端康成、武者小路実篤らの肖像があり、自己を追求しつつものを存在させていくことの安らかさを制作の意義とし、真摯な写実にもとづく知的で詩情ある作風を示した。著者に『人間の風景』(朝日新聞社、昭和4)、『薔薇窓から』(筑摩書房、昭和47)などがある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和62・63年版(332頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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