木下繁

没年月日:1988/08/04
分野:, (彫)

 日本芸術院会員の彫刻家木下繁は、8月4日午前11時50分、肝不全のため東京都新宿区の社会保険中央総合病院で死去した。享年80。明治41(1908)年4月25日、和歌山県布田郡に生まれる。昭和3(1928)年東京美術学校彫刻科に入学し建畠大夢に師事し、のち清水多嘉示に師事する。在学中の5年第11回帝展に「女の顔」で初入選。8年東美校を卒業し研究科に進学、10年に研究科を修了する。14年第3回新文展に「れいめい」を出品して特選、22年第3回日展出品作「裸婦」、26年第7回日展出品作「裸婦」でも特選を受賞し、以後たびたび日展審査員をつとめる。44年第1回改組日展に「裸婦」を出品して文部大臣賞、48年第5回日展に「裸婦」を出品して48年度日本芸術院賞を受賞し、52年日本芸術院会員となる。塑像を得意とし、裸婦を好んで制作する。39年より46年まで白色セメント野外彫刻展に出品する。47年より武蔵野美術大学教授をつとめ、56年同名誉教授となった。また、53年より日展常務理事、日本彫刻会常務理事を務めた。

帝展・新文展・日展出品歴
昭和5年第11回帝展「女の顔」、6年(12回)「髪」、7年(13回)「A Purple Maiden」、8年(14回)「光に立ちて」、9年(15回)「水のほとり」、11年(文部省展覧会)「生」、12年(第1回新文展)「空のふかみ」、13年(2回)「さわやか」(特選)、14年(3回)「れいめい」(特選)、16年(4回)不出品、17年(5回)「習作」、18年(6回)不出品、21年(第1、2回日展)不出品、22年(3回)「裸婦」(特選)、23年(4回)「裸婦」、24年(5回)「裸婦」、25年(6回)「裸婦」、26年(7回)「裸婦」(特選)、27年(8回)「裸婦」、28年(9回)「裸婦」、29年(10回)「裸婦」、30年(11回)「腰かける女」、31年(12回)「裸婦」、32年(13回)「裸婦」、33年(第1回社団法人日展)「裸婦」、34年(2回)「裸婦」、35年(3回)「裸婦」、36年(4回)「裸婦」、37年(5回)「裸婦」、38年(6回)「裸婦」、39年(7回)「裸婦」、40年(8回)「裸婦」、41年(9回)「裸婦」、42年(10回)「裸婦」、43年(11回)「裸婦」、44年(第1回改組日展)「裸婦」、(文部大臣賞)、45年(2回)「裸婦」、46年(3回)「裸婦」、47年(4回)「裸婦」、48年(5回)「裸婦」、49年(6回)「裸婦」、50年(7回)「裸婦」、51年(8回)「裸婦」、52年(9回)「裸婦」、53年(10回)「裸婦」、54年(11回)「裸婦」、55年(12回)「裸婦」、56年(13回)「裸婦」、57年(14回)「裸婦」、58年(15回)「THE PREVAILING WESTER LIES」、59年(16回)「東風」、60年(17回)「腰かけた女」、61年(18回)「おんな」、62年(19回)「おんな2」

出 典:『日本美術年鑑』平成元年版(266-267頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「木下繁」が含まれます。
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