白井晟一

没年月日:1983/11/22
分野:, (建)

 深い思索に裏付けられた独自の様式をうちたてた建築界の巨匠白井晟一は、11月22日午後11時、脳内血シュのため、京都市東山区の京都第一赤十字病院で死去した。享年78。明治38(1905)年2月5日京都市に生まれ、青山学院中学を経て京都高等工芸学校を卒業。22才でドイツへ留学し、ハイデルベルク大学、ベルリン大学で哲学、美術史を学ぶ。ハイデルベルク大ではヤスパースに師事。帰国後の昭和10年ころから建築設計を始め、独学。処女作河村邸をはじめ、歓喜荘などドイツ住宅の伝統をひく住宅建築を戦前には多く手がける。戦後は同36年第4回高村光太郎賞を受けた東京浅草の善照寺ほか群馬県松井田町役場、秋田県雄勝町役場など公共施設の建築設計をよくし、佐世保の親和銀行本店では西欧のロマネスク建築を思わせる安定した量感の中に高い精神性を盛りこみ、同43年日本建築学会賞、翌44年毎日芸術賞、同55年日本芸術院賞をうけた。この様式は、建築物の機能と周囲の景観に適応しつつ、単なる様式上の西欧の模倣や、機能のみを重視する方向を否定する形で展開し、若い建築家たちに強い刺激と影響を与えた。晩年の代表作には、同55年の東京都渋谷区松涛美術館、同56年の芹沢銈介美術館がある。書もよくし、顧之昏元と号して『顧之居書帖』を出版している。

出 典:『日本美術年鑑』昭和59年版(320-321頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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