横山不学

没年月日:1989/03/01
分野:, (建)

東京文化会館などの設計にたずさわった構造設計家横山不学は、3月1日午前5時14分、肺炎のため東京都新宿区の東京厚生年金病院で死去した。享年86。明治35(1902)年5月22日、東京都文京区に生まれ、昭和3(1928)年3月、東京大学工学部建築学科を卒業。同年4月より13年5月まで日本銀行臨時建築部技師、13年5月より17年6月まで東京市建築部技師、17年6月より20年11月まで内閣技術院参技官をつとめる。戦後は20年11月より23年3月まで戦災復興院計画局技官、のち特許標準局(23年3~8月)、工業技術庁(23年8月~25年1月)を経て、同25年1月に独立し、横山建築構造設計事務所を開設し、その所長となった。東京大学での同級生であった前川国男と組み、東京文化会館、東京海上火災本社ビル、東京都美術館、熊本県立美術館、国立西洋美術館、山梨県立美術館などの構造設計を担当したほか、町田市立国際版画美術館、水戸芸術館の設計にもたずさわった。この間、昭和36年「建築構造設計技術の推進」によって日本建築学会賞受賞。著書に『建築構造設計論:理念の追求と展開』(昭和54年)、『建築構造設計論:世界のランドマークを求めて』(同56年)、『遥かなる身と心の遍歴を求めて』(同57年)などがある。公共建築、特に美術館などの文化事業を目的とする建築の設計に多く参画した。晩年は絵画に興味を抱き、竹林会等に出品している。時に暁と号した。

出 典:『日本美術年鑑』平成2年版(236頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「横山不学」『日本美術年鑑』平成2年版(236頁)
例)「横山不学 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9886.html(閲覧日 2024-04-20)

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