坂高麗左衛門〔11代目〕

没年月日:1981/01/13
分野:, (陶)

萩焼の陶芸家坂高麗左衛門は、1月13日午後11時40分脳出血のため、山口県萩市の玉木病院で死去した。享年68。1912(大正元)年4月26日下関市に生まれ、本名は信夫。帝国美術学校(現武蔵野美術大学)を卒業したのち、48(昭和23)年に旧萩藩御用窯の宗家坂高麗左衛門家の婿養子となる。萩焼は、17世紀初頭に朝鮮の陶工李勺光、李敬兄弟によって創始されたもので、茶の湯では「一楽、二萩、三唐津」として代表的な和物茶碗のひとつに数えられる。李兄弟は松本中之倉に松本窯を開窯し、その後弟李敬が寛永2(1625)年坂高麗左衛門の和名を藩主から受けて坂家の初代高麗左衛門となったが、兄李勺光の一族が後に深川三之瀬に移り深川窯を開いたため、以後、坂家が松本窯の総都合役を踏襲するようになる。その坂家の11代高麗左衛門を58年に襲名し、また66年の第13回日本伝統工芸展に「萩焼茶碗」が初入選、その後入選を重ね71年に日本工芸会正会員となった。朝鮮の井戸茶碗ふうのものや、胎土に荒砂や礫を混入した鬼萩手など豪快でたくましい作風を得意とし、73年山口県芸術文化振興奨励賞を受賞、75年に山口県無形文化財の指定を受けた。80年には日本工芸会の理事となり、山口県支部の幹事長などもつとめた。この間、78年には、他の萩焼作家と共に中国を旅行している。主な作品は、「井戸茶碗」(75年)「魚紋花瓶」(77年)他がある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和57年版(268頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

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例)「坂高麗左衛門〔11代目〕」『日本美術年鑑』昭和57年版(268頁)
例)「坂高麗左衛門〔11代目〕 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9883.html(閲覧日 2024-04-24)
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