三輪休和

没年月日:1981/10/24
分野:, (工,陶)

“休雪白”で知られる萩焼の第一人者、人間国宝の三輪休和は、10月24日午後1時5分、老衰のため山口県萩市の河村病院で死去した。享年86。萩市名誉市民でもあった氏の葬儀は、萩市葬として萩市民会館で行われた。1895(明治28)年山口県阿武郡に旧萩藩御用窯三輪家九代雪堂の二男として生まれ、本名は邦広。1908年明倫館の流れを汲む萩中学校に入学し、優秀な成績で2年に進むが、祖父雪山の「職人に学問は要らぬ」という説得により、同校を2年で退学、以後、技術を父の九代雪堂に学び、家業に従事することになる。祖父の雪山は、維新により御用窯としての保護を離れた窯経営の苦難を乗り越えた傑物であったが、この祖父の強い勧めにより、青年期に、江戸千家流の阿部直彦について茶道を学び、また宝生流の渡辺蒿蔵に謡曲を習うなど、諸芸の修業を積んでいる。27年32歳の時、父の九代雪堂が隠居したため、三輪窯十代を継承し休雪と号した。この頃より古萩名品の鑑賞を志し、28年には益田鈍翁、三井守之助、藤原銀次郎、高橋箒庵らを訪ね、34年の大阪藤田男爵家の売立に赴くなど、名品に触れる貴重な体験をしている。42年三重県津市千歳山の川喜田半泥子宅に金重陶陽荒川豊蔵、三輪休雪の三人が集まった際「からひね会」を結成したが、これは、戦禍の激しくなる折柄、具体的な芸術活動には到らなかった。44年大阪美術倶楽部で初の個展を開催、また戦後は56年以来日本伝統工芸展に殆んど欠かさず出品し、57年には日本工芸会の正会員となっている。作陶では十代休和襲名の頃から白釉の発色について研究を重ねていたが、やがて萩焼特有の藁灰釉を工夫することで春雪のような温味のある白を完成し、55年前後より「休雪白」の名で呼ばれるようになった。ここに高麗茶碗に和風を調和させ温和な独自の作風を樹立した休和の評価が定着し、57年には「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」として選択を受ける。67年隠居して休和と号し、以後個展をやめ納得のいく作陶に励む。この間、28年7月から72年8月まで克明に記された『窯日誌』は、作陶の苦心と研究をよく伝えている。67年紫綬褒章を受章、70年には重要無形文化財萩焼保持者(人間国宝)として認定され、また73年には勲四等旭日小授章を受けている。職人芸一筋に徹した生涯は、その作品と共に、多くの人々の共感と尊敬を集めていた。
年譜
西暦 事項
1895 4月 20日、山口県阿武郡に旧萩藩御用窯三輪家9代雪堂の二男として生まれる。本名は邦廣。
1908 3月 椿東小学校卒業
          4月 山口県萩中学校入学
1910 3月 祖父八代雪山のすすめにより萩中学校二年修了で退学し、家業に従事する。
1911 2月 阿部直彦に師事して江戸千家流の茶道稽古を始め、また渡辺蒿蔵に師事して宝生流謡曲の稽古を始める。
1921 2月 上海、蘇州、杭州、広州を旅行して中国陶磁を見学する。
          8月 祖父八代雪山没
1922 5月 小島芳子と結婚。
1923 「郭子儀置物」
1926 5月 「布袋置物」
1927 2月 父九代雪堂隠居、三輪窯十代を継承して休雪と号す。
1928 7月 「寿老人置物」
          9月 古萩名品の鑑賞を志し、益田孝男爵、三井守之助男爵、藤原銀次郎翁、高橋箒庵翁を訪ねて古萩名器を鑑賞する。この頃より萩釉の藁灰による白釉の発色について研究を積む。
1929 4月 「桃坊朔(東方朔)置物」
        10月 「布袋置物」「玉取獅子置物」
        11月 「郭子儀置物」
1932 9月 休雪の作品頒布会「雅陶会」が結成される。
1933 8月 「玉取獅子置物」
1934 1月 朝鮮陶磁研究のため京城の李王家博物館を見学し、さらに南鮮方面を旅行する。この時加藤唐九郎と逢う。
          4月 大阪藤田男爵家の売立に際し、名器研究のためその入札下見を参観する。「桃坊朔(東方朔)置物」
          5月 須子伴二郎所蔵の「仁清水指」を写し焼く。
        10月 商工省主催「輸出工芸品展」に「萩焼菓子器」を出品し、入選。
1935 5月 「萩博覧会」に出品。
        10月 名古屋・松坂屋「全国12名工作品展」に作品30点を出品。
               「玉取獅子置物」「夏・冬茶碗」二個、「高彫唐草文大花瓶」
                この年、東京在住の塗師能登又平より漆塗りの指導を受ける。
1937 6月 大阪・阪急百貨店「萩焼名匠展」出品
1938 1月 『茶の湯会記』を書き始める。
        12月 古萩を中心とする年譜を作成する。
1941 5月 旧藩御用達熊谷家の高麗茶碗、古萩を鑑賞する。
1942 2月 津市千歳山の川喜田半泥子宅に金重陶陽荒川豊蔵、三輪休雪の三人が集い「からひね会」を結成する。
1943 1月 技術保存法指定作品山口県認定委員を命ぜられ、同月技術保存法による指定を受ける。
1944    大阪美術倶楽部で初めての個展を開く。
1948 3月 萩焼美術陶芸協会副会長に推戴される。
        この年、芸術陶磁認定委員に任命される。
1951 6月 朝日新聞社主催「現代日本陶芸展」招待出品(以後連続)。
195311月 父九代雪堂(録郎)、86歳にて没
1955 9月 「全日本産業工芸展」に「抹茶碗」が入選し、会長賞を受ける。
        この頃よりシリコンを水止めに使い始める。
1956 8月 山口県指定無形文化財萩焼保持者に認定される。
    10月 「第三回日本伝統工芸展」に「平茶碗」を初出品入選する。
1957 2月 山口県陶芸協会が創設され会長に推戴される。
     3月 文化財保護委員会より「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」として選択を受ける。
     4月 東京・三越にて「三輪休雪茶陶展」開催。これを機に岸信介ら在京山口県出身名士の発起により「三輪休雪後援会」(会長岸信介)が設立される。
     5月 日本工芸会正会員に推挙される。
    10月 「第四回日本伝統工芸展」に「茶碗」入選。
        この年、アメリカ国際見本市に出品。
1958 9月 東京・三越にて「三輪休雪作陶展」開催。
    10月 「第五回日本伝統工芸展」に「茶碗」「水指」入選。
1959 3月 文化財保護委員会「水指」買上。
     5月 国立近代美術館「現代日本の陶芸」に「水指」招待出品。
        「九州山口陶磁名品展」に「茶碗」「菓子鉢」招待出品。
     6月 名古屋・松坂屋「伝統工芸20展」に「茶碗」招待出品。
    10月 「第6回日本伝統工芸展」に「四方鉢」入選。
        山口県陶磁協会が萩焼陶芸協会に改組され会長に推戴される。
1960 5月 「第9回現代日本陶芸展」に「水指」招待出品。
        10月 「第七回日本伝統工芸展」に「茶碗」入選。
        11月 東京・三越にて「三輪休雪作陶展」開催。
               この年、スペイン国立民族博物館より「茶碗」買上。
1961 2月 萩焼陶芸協会が萩焼陶芸作家協会に改組され、会長に推戴される。
          4月 名古屋・松坂屋にて「休雪・節夫父子陶芸展」開催。
          9月 大阪・三越にて「休雪・節夫萩焼逸品展」開催。
               「第8回日本伝統工芸展」に「茶碗」2展入選。
        11月 中国新聞社より中国文化賞を受ける。
1962 5月 大和大神神社中山宮司により三輪神社を勧請する。
        11月 東京・三越にて「三輪休雪作陶展」開催。
1963 9月 「第10回日本伝統工芸展」に「茶碗」入選。
                福岡・岩田屋にて「休雪・節夫作陶展」開催。
                萩市文化財審議委員を委嘱される。
1964 6月 国立近代美術館「現代国際陶芸展」招待出品。
          9月 「第11回日本伝統工芸展」に「茶碗」2点入選。
        11月 文化功労者として山口県選奨規則により表彰される。
1965 9月 「第12回日本伝統工芸展」に「茶碗」入選。
               「休雪古稀の会」が開催される。
1966 1月 朝永振一郎博士ノーベル賞受賞祝賀贈呈の「花瓶」制作。
        10月 「第13回日本伝統工芸展」に「茶碗」2点入選。
                文化財保護委員会「茶碗」買上。
1967 3月 文化財保護委員会により三輪休雪の技術記録が作成され、「茶碗」2点、「水指」1点買上。
          5月 隠居して休和と号し、11代休雪を弟節夫が襲名する。
                三輪神社、伊勢神宮に参拝し、「茶碗」を奉納。
          7月 萩市制35周年記念「産業功労者」として表彰される。
        11月 紫綬褒章を授けられる。
1968 5月 「日本伝統工芸秀作展」に「茶碗」招待出品。
          8月 川端康成ノーベル賞受賞祝賀贈呈の「獅子置物」制作。
          9月 「第15回日本伝統工芸展」に「茶碗」2点入選。
1969 1月 東京三越・陶裳会同となり「第3回陶裳会展」に「茶碗」招待出品(以後連続)。
          3月 大丸・彩虹会同人となり同展に「茶碗」出品(以後連続)。
          6月 大阪・高島屋「滉瀁会工芸名作展」に「茶碗」招待出品(以後連続)。
          9月 「第16回日本伝統工芸展」に「茶碗」入選。
1970 4月 重要無形文化財萩焼保持者として認定される。
毎日新聞社主催「人間国宝新作展」に「井戸茶碗」出品(以後連続)。
          7月 「三輪休和先生作品懐古展」を萩市民館にて開催。
          9月 京都国立近代美術館「現代陶芸展-ヨーロッパと日本-」に「茶碗」招待出品。
             「第17回日本伝統工芸展」に「茶碗」入選。
             前立腺炎にて山口大学附属病院に入院し、11月治癒退院。
1971 6月 毎日新聞社主催「第1回日本陶芸展」招待出品(以後連続)。
          9月 「第18回日本伝統工芸展」に「茶碗」入選。
        10月 京都国立近代美術館「現代陶芸展-アメリカ・カナダ・メキシコと日本-」に「茶碗」招待出品。
1972 4月 大阪・高島屋にて「喜寿記念・三輪休和作陶展」開催。「休和喜寿記念作品集」を花喜多より刊行。
          5月 福山・天満屋「藤原啓三輪休和陶芸二人展」開催。
          7月 萩市名誉市民に推挙される。
          8月 山口県立山口博物館「三輪休和藤原啓陶芸二人展」開催。
          9月 「第19回日本伝統工芸展」に「水指」入選、文化庁買上。
        10月 不眠症となり市内河村病院に入院静養し年を越す。
1973 2月 退院して自宅静養する。
          4月 勲四等に叙せられ旭日小綬章を授けられる。
          9月 「第20回日本伝統工芸展」に「茶碗」入選。
1974 1月 迎賓館別館茶室「茶碗」買上。
        10月 「第21回日本伝統工芸展」に「茶碗」入選。
1975 3月 京都・高島屋「一楽二萩三唐津展」(楽吉左衛門三輪休和中里無庵)開催。
          4月 「伝統の萩焼と高麗茶碗・古萩名品展」実行委員を委嘱される。
          6月 東京・三越「現代名作工芸展」に「茶碗」招待出品。
          7月 山口県立美術館(設立準備中)に「茶碗」二点寄贈。
          9月 「第22回日本伝統工芸展」に「茶碗」「編笠水指」入選。
             文化庁「編笠水指」買上。
1976 5月 日本経済新聞社・ドレスデン国立美術館・シュベリーン国立美術館主催「日本陶磁名品展」に「白萩釉水指」出品。
          9月 「第23回日本伝統工芸展」に「花入」入選。
1977 4月 東京・松坂屋「人間国宝展」に「茶碗」出品。
          7月 名古屋・丸栄「十和会展」出品。
        10月 岡山・天満屋にて「からひね会展」が初めて開催される。
1978 4月 東京・松坂屋「人間国宝展」出品。
1979 5月 山口市仁保病院に入院。
1981 5月 同病院を退院、帰宅。
          6月 萩市河村病院に再入院。
        10月 24日、老衰のため死去。
          (山口県立美術館「三輪休和展」1982図録参照)

出 典:『日本美術年鑑』昭和57年版(284-286頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「三輪休和」『日本美術年鑑』昭和57年版(284-286頁)
例)「三輪休和 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9876.html(閲覧日 2024-03-19)

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