森野嘉光

没年月日:1987/05/02
分野:, (工,陶)

陶芸家で日展参事の森野嘉光は、5月2日老衰のため京都市上京区の京都府立医科大学付属病院で死去した。享年88。明治32(1899)年4月15日、京都市東山区入に生まれる。本名嘉一郎。大正10年京都市立絵画専門学校日本画科を卒業、同年の第3回帝展に卒業制作「比叡の山麓」が初入選する。同15年第7回帝展にも日本画で入選したが、この間、李朝陶磁にひかれ、清水焼の陶工であった父峰楽につき青磁、辰砂の研究を始め作陶に転じた。昭和2年第8回帝展に工芸部が新設され、「青流草花文花瓶」を出品し、入選する。同4年東京、日本橋・三越で個展を開催、この頃から塩釉の美しさに注目し独自の研究を始め、また、板谷波山を知った。同16年第4回新文展に「塩釉枇杷図花瓶」で特選を受賞した。戦後は、同24年清水六兵衛、河合栄之助らと京都陶芸家クラブを結成、日展へ出品し、同27年の第8回展以来しばしば審査員をつとめた。同33年社団法人日展発足にともない評議員となる。翌34年頃から緑釉窯変の研究に意欲的にとりくみ、同37年には現代工芸美術家協会設立に参加し、第1回現代工芸美術展に「緑釉窯変耳付花瓶」を発表した。翌38年、前年度日展出品作「塩釉三足花瓶」で日本芸術院賞を受賞する。同46年日展理事となり、現代工芸美術家協会参与となったが、美術家協会は同54年退会した。この間、同42年に京都市文化功労者、翌年京都府美術工芸功労者にあげられた。同55年、日本新工芸家連盟代表委員、日展参事となる。作品集に『森野嘉光作陶集』(同60年、求龍堂)他がある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和62・63年版(329-330頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「森野嘉光」『日本美術年鑑』昭和62・63年版(329-330頁)
例)「森野嘉光 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9858.html(閲覧日 2024-04-19)

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