米光光正

没年月日:1980/03/29
分野:, (工,象嵌)

肥後象嵌の伝統を伝える人間国宝米光光正は、3月29日午前7時8分脳出血のため熊本市の済生会熊本病院で死去した。享年91。1888(明治21)年5月1日、熊本市に生まれ、本名は太平。1903年熊本高等小学校を卒業後、叔父吉太郎に師事し厳格な指導のもとで修行を積み、以来77年にわたり象嵌一筋に生きた。肥後象嵌は、1578(天正6)年加藤清正に従い肥後に入国した尾張の鉄砲鍛冶林又七に始まり、幕末の名工神吉楽寿、楽寿門人田辺保平を経て光正の師吉太郎に受け継がれた。主に鉄地に金銀銅をはめ込み、鉄砲や刀鐔に施されてきたが、明治の廃刀令により帯止、花瓶などの装身具や置物にも象嵌が生かされるようになる。その現代工芸への発展の基礎を作ったのが吉太郎であったが、光正は師に学ぶ一方、若い時期に絵画・書道・茶道・生花などの諸芸を学んでいる。光正の号を許されたのは1917年29歳の時で、翌18年頃より37年にかけて商工会主催の全国工芸展にたびたび入選し、40歳代で独立した。戦後、60歳頃より後継者の育成にとりかかり、71歳の59年熊本県の無形文化財に指定され、65年重要無形文化財「肥後象嵌・透」の技術保持者として人間国宝の認定を受けた。翌年には勲五等雙光旭日章を受章し、この頃から最も円熟した時期に入る。「鉄地丸形破扇桜紋散象嵌鐔」(66年、重文)「鉄地丸形四ツ蕨ヲ透桐唐草象嵌鐔」(68年)「鉄地丸形吉野竜田透桜唐草葛菱繋象嵌鐔」(73年)「鉄地左右蕨手透桐九曜桜二重唐草象嵌鐔」(74年)など多くの名作を作り、79年の「鉄地八ツ木瓜形天竜透渦巻象嵌鐔」は没する前年の作とは思えない充実した作風を見せている。80年3月29日の逝去と同日付で勲四等瑞宝章が授与された。

出 典:『日本美術年鑑』昭和56年版(246頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「米光光正」『日本美術年鑑』昭和56年版(246頁)
例)「米光光正 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9851.html(閲覧日 2024-03-29)

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