斎田梅亭

没年月日:1981/06/01
分野:, (工,截金)

 人間国宝の截金師斎田梅亭は、6月1日午後5時45分心筋梗ソクのため、京都市西京区の西京都病院で死去した。享年81。1900(明治33)年4月6日、京都市下京区に、斎田万次郎の五男として生まれる。本名は右五郎。斎田家は、西本願寺専属の截金仏画師で、父万次郎は四代目、長兄晨三郎が五代目である。梅亭は、1920(大正9)年京都市立美術工芸学校図案科を卒業し、晨三郎について截金技術を学んだ。金・銀箔を細かく切り、本来仏像や仏画を装飾する技法である截金を、工芸品に応用することを研究した梅亭は、36(昭和11)年の改組第1回帝展に「歳寒三友ノ図截金屏風」で初入選し、54年まで、新文展、日展に入選を重ねている。45年3月に兄晨三郎が没したため六代目を継承、家業を継ぐ一方で、截光会を結成し、新しい装飾工芸の開拓に努めた。54年に日本工芸会が創設されてからは同展に出品し、59年の第6回展で「截金飾筥」が奨励賞を受賞、61年には会長賞受賞とともに正会員に選ばれた。また64年第11回展で審査委員をつとめて後、たびたび同委員をつとめている。74年には、東京都港区の赤坂離宮迎賓館の調度品として、代表作のひとつである截金の四曲屏風一双「霞文様」を制作、仏教美術の分野の一技法にとどまっていた截金を、工芸美術の域まで高めた功績が認められ、75年勲四等瑞宝章を受章した。また77年の京都府美術工芸展では大賞を受賞、同年京都府美術工芸功労者に選ばれ、この4月には人間国宝(重要無形文化財保持者)に認定されたばかりだった。屏風や飾筥、茶器などに施された截金の装飾は、繊細で現代的な感覚のもとに見事に甦っている。主要作品は、上記のほか、「截金菜華文飾筥」(61年)、「波頭文飾筥」(67年)「華(小屏風)」(69年)「六万飾筥」(74年)など、

出 典:『日本美術年鑑』昭和57年版(276-277頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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