海野建夫

没年月日:1982/11/17
分野:, (工,彫金)

日展参事、東京学芸大学名誉教授の彫金家海野建夫は、11月17日午前零時、心筋コウソクのため東京・杉並区の自宅で死去した。享年77。1905(明治38)年6月15日、東京・上野に生まれる。21年吉川霊華に師事するが、東京美術学校で彫金を学び28年金工科彫金部を卒業、研究科に進み31年修了する。在学中の29年第10回帝展に「彫金花盛器」が初入選、32年第13回帝展で「鉄製ファイヤースクリン」が特選となり、37年パリ万国博覧会「秋手鏡」が銀賞を受賞する。戦後日展で49年以後たびたび審査員をつとめ、50年より依嘱出品、58年会員、61年評議員、67年第10回日展「春想」が内閣総理大臣賞を受賞する。また51年東京学芸大学講師、翌年教授となり、69年まで後進を指導、定年退官後名誉教授となった。一方、光風会では55年会員となり、以後審査員、評議員をつとめ69年理事、また66年現代工芸美術家協会参与、78年日本新工芸家連盟代表委員となる。70年には前年の第1回改組日展出品作「雨もよい」により第26回日本芸術院賞を受賞した。伝統的な彫金法にメタリックな現代的感覚を加えた独自の作風で知られた。73年日展理事、78年参事となり、また60年日本体育協会のオリンピック・ローマ大会芸術視察員、64年東京オリンピック大会芸術特別委員会幹事、このほか日本オリンピック委員・日本スポーツ芸術協会副会長などもつとめた。73年茨城文化賞、75年勲三等瑞宝章受章、没後正五位に叙せられた。
1929 第10回帝展 「彫金花盛器」
1930 第11回帝展 「彫金飾銅扉」
1931 第12回帝展 「櫃」
1932 第13回帝展 「鉄製ファイヤースクリン」特選
1933 第14回帝展 「彫金壁掛」
1934 第15回帝展 「鉄布目象嵌相駿ノ図小筥」
1936 第1回改組帝展 「鷺九筥」
1936 文展鑑査展 「蛾花瓶」
1936 文展招待展 「蛾花瓶」
1939 第3回新文展 「四分一香炉」無鑑査
1940 紀元2600年奉祝展 「銀蓬莱花瓶」
1943 第6回文展 「独立・四分一硯屏」無鑑査
1946 第1回日展 「煙火箱」
1946 第2回日展 「文箱・海」
1947 第3回日展 「蟹文角皿」
1949 第5回日展 「金工双酸花盛器」審査員
1950 第6回日展 「金工洋酒瓶」依嘱
1951 第7回日展 「大皿」依嘱
1952 第8回日展 「黒味銅壷」依嘱
1954 第10回日展 「赤銅花器」審査員
1955 第11回日展 「魚文花器」依嘱
1956 第12回日展 「鳥文花器」依嘱
1957 第13回日展 「楽園・花器」依嘱
1958 第1回社団法人日展 「ある壁画へ・メデューサ」会員
1959 第2回社団法人日展 「八乳花器」会員・審査員
1961 第4回社団法人日展 「裏街」評議員
1962 第5回社団法人日展 「谷底の天国」評議員
1963 第6回社団法人日展 「丘の洞」評議員・審査員
1964 第7回社団法人日展 「見附」評議員
1965 第8回社団法人日展 「翼のある花器」評議員
1966 第9回社団法人日展 「白馬家族」評議員
1967 第10回社団法人日展 「春想」評議員・内閣総理大臣賞
1968 第11回社団法人日展 「合戦」評議員
1969 第1回改組日展 「雨もよい」評議員
1973 第5回改組日展 「求道」理事・審査員
1974 第6回改組日展 「白い梟」理事
1975 第7回改組日展 「洋犬」理事
1976 第8回改組日展 「曲馬」理事・審査員
1977 第9回改組日展 「孤高」評議員
1978 第10回改組日展 「虞美人草」参事
1979 第11回改組日展 「白雉不動」理事
1981 第13回改組日展 「初霜」参事
1982 第14回改組日展 「白鳥座・盤」参事

出 典:『日本美術年鑑』昭和58年版(285-286頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「海野建夫」『日本美術年鑑』昭和58年版(285-286頁)
例)「海野建夫 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9847.html(閲覧日 2024-04-20)

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