山脇洋二

没年月日:1982/12/11
分野:, (工,彫金)

 東京芸術大学名誉教授、日展理事の彫金家山脇洋二は、12月11日食道ガンのため東京都大田区の自宅で死去した。享年75。明治40(1907)年12月2日、大阪市北区に生まれ、昭和5年東京美術学校金工科彫金部を卒業する。同6年第12回帝展に「照明器」が初入選し、同11年新文展招待展に「鍛金野牛置物」で、同13年第2回新文展に「銀竜文亀置物」でそれぞれ特選をうける。この間、同8年から14年まで帝室博物館に在籍し、古美術品模造に従事し金工作品の研究複製を行う。同14年東京美術学校嘱託、同18年助教授(同31年東京芸術大学教授)となる。戦後は日展に出品、同21年第2回日展に「舞御堂小箱」で特選を受け、翌年最初の日展審査員をつとめる。同33年日展評議員となり、同36年第4回新日展に「金彩游砂額」を出品、同作品で翌年第18回日本芸術院賞を受賞する。同46年日展理事に就任。日展の他、日本現代工芸美術展(同37年第11回より)、URジュウリー展(同38年第5回より)などに出品し、また、同39年日本ジューリーデザイナー協会発足に参画、同46年日本創作七宝協会会長に推され、同50年には社団法人日本新工芸家連盟代表委員となる。この間、同24年法隆寺五重塔秘宝の調査並びに複製、同25-27年正倉院御物金工品の調査研究、同30年薬師寺本尊台座修理委員など、戦後も古美術品の補修、復刻などにあたり、日本美術刀剣保存協会参与(同33年-)、文化財保護審議委員会専門委員(同40年-)もつとめた。同50年東京芸術大学を定年退官し、同大学名誉教授の称号を受ける。同54年勲三等旭日中綬章を受章。同56年からは山梨県立宝石美術専門学校初代校長をつとめた。戦後の作品に「蜥蠋文硯箱」(3回日展)、「啼く」(5回新日展)、「金彩聖額」(10回日本現代工芸展)、「金彩奏でる額」(12回改組日展)などがある。没後、同59年に「山脇洋二 金工の世界」展が渋谷区立松涛美術館で開催された。

出 典:『日本美術年鑑』昭和58年版(288頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2016年08月09日 (更新履歴)
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