小川善三郎

没年月日:1983/01/14
分野:, (工,染織)

国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)で、献上博多織の第一人者として知られる小川善三郎は、1月14日午後11時23分、心筋こうそくのため、福岡市城南区の福岡大学医学部附属病院で死去した。享年82。明治33(1900)年7月15日、福岡市に、博多織職二代目小川熊吉の長男として生まれた。本来の博多織とか仙台平には、女性の体力では不可能な限界があり、職人は男子と決まっていたから、長男善三郎の出生は、小川家の博多織職三代目がその時点で決定していた。従って幼少時より父親の側で年令相応の手伝いをして博多織に馴染んで成長した。
 大正2(1913)年、小学校を卒業と同時に、福岡市内の原竹織工場に住み込み弟子として入門、6ケ年間の修業を勤めあげ、年季あけとなる。同時(大正8年)に、市内の阿部織工場に、職人として入社する。この工場主の阿部萬次郎は、当時の博多織業界随一の技術と評価され、その作品は高貴筋への献上品となっていた。この工場主に見込まれて、特訓が行われ、その指導のもとに小川善三郎の本格的な献上博多織の研究と技法の習練が行われ、卓越した手腕の基礎が築かれた。大正14(1925)年阿部萬次郎工場を退職。昭和2(1927)年、松居博多織工場に入社、昭和26(1951)年退社し、昭和27(1952)年より独立して自営業となる。
昭和35(1960)年 東京高島屋での百選会で優選賞。
昭和37(1962)年 福岡市主催の求評会で、この年から三年連続特別賞。
昭和43(1968)年 10月、福岡県無形文化財博多織保存者に認定。
昭和45(1970)年 福岡県教育功労者として表彰。
昭和46(1971)年4月23日 重要無形文化財博多織保持者に認定。
昭和48(1973)11月 勲四等旭日小綬章を受章。

出 典:『日本美術年鑑』昭和59年版(292-293頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「小川善三郎」『日本美術年鑑』昭和59年版(292-293頁)
例)「小川善三郎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9820.html(閲覧日 2024-03-28)

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