喜多川平朗

没年月日:1988/11/28
分野:, (工,織)

 古代絹織物“羅”の復元や宮中の儀式などに使う有職織物の第一人者で人間国宝の喜多川平朗は、老衰による呼吸不全のため、11月28日午後6時27分京都市左京区の自宅で死去した。享年90。明治31(1898)年7月15日京都市に生まれ、本名同じ。応仁の乱後、京都西陣に集まった織屋の中でも由緒ある機家俵屋に生まれ、17代目を継いだ。同家は江戸末期には有職織物も手がけており、また父喜多川平八も西陣の名匠であった。初め画家を志望し、大正10年京都市立絵画専門学校日本画科を卒業。卒業後兵役につき、同12年除隊後家業を継ぐことを決意、父平八のもとで修業を始める。同時に染織史や染織技術史の研究を志す。当事、有職織物製織の俵屋と装束調達の高田が有名だったが、その高田義男も大正末年頃より古代染織の研究を志し東京のほか京都にも織工場を新設したため、昭和初年より自らも自営、高田と協力して研究を始める。昭和3年昭和天皇即位大典儀式用の装飾、装束織物を製織し、翌4年第58回伊勢神宮式年遷宮の御神宝織物、6年新築された国会議事堂衆議院、貴族院の玉座や装飾織物などを製織。宮中や神宮、神社への調達用の織物も数多く手がける。また昭和初年より10年代にかけて帝室博物館が行なった古代染織品の復元模造事業でも、調査製作監督高田義男とともに製織主任としてこれに携わる。主な復元模造作品は次のものである。
 正倉院裂数10点、国宝・鎌倉鶴岡八幡宮女衣五領、国宝・熊野速玉大社神服類38点、国宝・熱田神宮一ノ御前及び四ノ御前神服類各一具・装束類7点、重文・伝護良親王鎧直垂一領、毛利家伝来鎧直垂、重文・高台寺蔵太閣所用陣羽織一領、東寺舎利会装束二領、手向山八幡宮伝来新靺鞨の袍一領、重文・高野山天野社伝来水干一領、重文・宇良神社蔵肩裾縫箔一領等。
 第2次大戦激化による応召、復員ののち数年間は不遇の時期が続いたが、28年第58回伊勢神宮式年遷宮の御神宝装束織物を制作。31年には、中国古代の織物で奈良~平安期に織られ室町以降衰微した「羅」(網目状の透けたからみ織りの薄地の絹織物)の再現による人間国宝に認定、さらに35年には「有職織物」によっても人間国宝に認定され、2つの技術保持者となった。42年西陣織工業組合による西陣五百年記念式典に際して文化功労者賞を受賞。43年キワニス文化賞を受賞し、45年京都市文化功労者となる。49年には文化庁により記録映画「有職織物・喜多川平朗の業」が撮影された。また日本伝統工芸会会員でもあった。

出 典:『日本美術年鑑』平成元年版(277頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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