金林真多呂

没年月日:1984/05/25
分野:, (工,人形)

「真多呂人形」の名で親しまれた木目込人形作家金林真多呂は、急性肺炎のため5月25日午前6時52分、東京都文京区の順天堂医院で死去した。享年87。本名金林真多郎。明治30(1897)年5月4日東京下谷に生まれる。明治から昭和初期にかけて木目込人形の第一人者と言われた初代名川春山や義父吉野喜代治らに師事し、その技法を学ぶ。木目込人形は、柳の木彫地をそのまま生かした小さな人形で、縮緬や金襴などの着衣の裂を木の表へ直接貼りつけ、裂端を素地にあらかじめつけておいた筋に押し込む(きめ込む)ことからこの名がある。創制者が元文年間京都加茂神社の雑掌をしていた高橋忠重という人物と伝えられることや、その孫で文化年間頃人形界を風靡した大八郎という名手がいたことなどから、加茂人形、大八人形などともよばれる。戦前・戦後と研究を続け、歴史に題材を求めた多くの人形を制作、殊に平安時代の華麗な貴族の風俗を現代的感覚で捉えた作品を特色とし、「真多呂人形」の名を生んだ。また自ら真多呂人形学院をつくり後進の指導にあたったほか、東京都雛人形工業協同組合理事長をつとめた。主要作品に「競馬」(京都上賀茂神社)「明治雛」(京都国立博物館)「川中島の合戦」(上杉神社)「江戸の祭(神田祭)」(台東区立下町風俗資料館)などがある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和60年版(249-250頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「金林真多呂」『日本美術年鑑』昭和60年版(249-250頁)
例)「金林真多呂 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9799.html(閲覧日 2024-04-26)
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