堀柳女

没年月日:1984/12/09
分野:, (工,人形)

「柳女人形」で知られる人間国宝の人形作家堀柳女は、12月9日午前7時40分肺炎のため東京都目黒区の厚生中央病院で死去した。享年87。明治30(1897)年8月25日東京都港区に生まれ、本名山田松枝。幼くして父を失ない、後運送業を営む堀家の養女となる。養父の事業の失敗、淡路島での女学校入学後まもなくの養父の死、大阪での家業復興と波乱に富む少女時代を送る。22歳の頃より荒井紫雨に日本画を学び、次いで少女雑誌に絵を応募したことから竹久夢二を知り、書生としてそのアトリエに出入りする。ここで夢二を中心に集まるグループの芸術思潮に影響を受け、しんこ細工に想を発した人形作りを始めた。これを土台に本格的な技法を取り入れ、仲間10数人と結成した「どんたく社」の昭和5年第1回人形展(銀座資生堂)に「袖」「幌馬車」を出品、8年銀座三越で第1回個展を開く。翌9年鹿児島寿蔵野口光彦らと甲戌会を結成し、11年工芸部門に初めて人形が加えられた改組第1回帝展に「文殻」が入選した。13年第6回甲戌会「宇治の川舟」「鳥追舟」や同年第2回文展「怒る濤和む波」などで人形作家としての評価を確立、12年より18年まで人形塾を経営する。戦後22年、エキゾチックな雰囲気を漂わせる「後宮」を発表、24年第5回日展「静思」が特選を受賞し、翌年日展初の女性審査員となる。更に27年第8回日展「彩雲」は北斗賞を受賞、30年衣裳人形の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、また29年以降日本伝統工芸展に出品、審査員をつとめた。この頃より作風は円熟期に入り、異国的情緒の「木花開耶姫」(28年第9回日展)「瀞」(32年)「古鏡」(38年第10回日本伝統工芸展)、大胆なフォルムを見せる「鉦鼓」(37年第9回日本伝統工芸展)「黄泉比良坂」(39年第6回全日本女流人形展)「太陽に遊ぶ」(55年傘寿記念作品展)、ほのぼのとした愛らしさの「竹取物語」(38年)「縁日」(42年第1回棟会展)「うつらうつら」(43年)などの作品を発表する。また蝸牛会、細螺会を主宰し、42年紫綬褒章、48年勲四等瑞宝章を受章、58年ナンシー米大統領夫人来日に際し迎賓館で創作人形作りを披露した。著書に『人形に心あり』『堀柳女人形』(44年講談社)がある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和60年版(259-260頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「堀柳女」『日本美術年鑑』昭和60年版(259-260頁)
例)「堀柳女 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9798.html(閲覧日 2024-04-24)

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