吉田謙吉

没年月日:1982/05/01
分野:, (舞台美術)

 築地小劇場創立メンバーの舞台美術家吉田謙吉は、5月1日午前4時55分、大動脈りゅう破裂のため、東京都港区の都済生会中央病院で死去した。享年85。1897(明治30)年2月10日、東京都中央区に生まれる。京橋小学校の同級生に坂東三津之丞がおり、後に松竹社長となる城戸四郎は先輩にあたる。1909年府立一中に入学するが3年生進級の際、父の倒産により中退する。11年府立工芸学校金属科鋳金科に入学。15年同科を卒業し、海軍造兵廠鋳金工場に勤務する傍ら、葵橋洋画研究所に学び、また、土岐善磨に師事し生活歌を学ぶ。17年、東京美術学校図案科第一部に入学、22年同科を卒業する。同年第9回二科展にLA LOKOMOTIVO PLOVIZEJO SUBIGINTA SUB URBO(街に沈んだ機関車庫)で初入選する。23年「アクション」「三科」などのグループをつくり新しい絵画運動を起こす。24年築地小劇場の創立に美術部宣伝部員として参加し、第1回公演「海戦」の舞台美術を担当。以後、同劇場で上演されたロマン・ロラン作「狼」、イプセン作「幽霊」等の舞台美術を手がけ、土方与志との共同制作による丸太組み舞台のスタイルをつくり上げる。29年築地小劇場分裂後は、新築地劇団の同人となる。日華事変には海軍従軍舞台装置家として大陸に渡る。46年帰国後、日本大学、多摩美術大学、玉川大学の演劇科で教鞭をとる。60年現代マイムを日本へ移入すべく日本マイム協会をつくり、同会会長となる。作画、著作のほか、旅館・喫茶店等の設計・内装も手がけ、著書に「たのしい舞台装置」「築地小劇場の時代-その苦闘と抵抗」となどがある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和58年版(272頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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