上野照夫

没年月日:1976/01/17
分野:, (学)

京都大学名誉教授、嵯峨美術短期大学教授上野照夫は、1月17日午後0時8分心不全のため京都大学附属病院で死去した。享年68。明治40(1907)年10月22日徳島市に生まれ、大阪市立築港小学校、同府立市岡中学校、大阪外国語専門学校仏語科をへて、昭和4年大阪高等学校文科乙類卒業。同年京都帝国大学文学部に入学、哲学科美学美術史を専攻し植田寿蔵教授に師事、同7年卒業し大学院へ進んだ。翌8年京都帝大文学部副手(12年まで)となり、同12年京都大学勤務(15年までと17年から18年まで)を嘱託さる。同26年4月京都大学教養部教授となり、同43年6月に京都大学文学部教授に配置換え、同46年3月退官した。同年4月京都大学名誉教授の称号を受け、嵯峨美術短期大学教授となり没年まで教鞭をとった。この間、同23(1948)年『仏教芸術』創刊号に「印度仏教美術の研究―アルベルト・グリュンヴェ-デルの業績」「一印度美術史徒の感想」を発表、仏教芸術学会委員として、以後同誌の編集に携わったのをはじめ、同33年11月から翌年3月まで、京大関係者で組織されたインド仏跡踏査隊に参加し、長尾雅人らとインド各地の美術調査を行ったほか、関西大学、京都市立美術大学などでも教鞭をとり、また同46年から京都国立近代美術館、京都市美術館の評議員もつとめた。インド及び日本、東洋の美術史家として、とくにインド美術史研究者の草分けとして知られ、多くの論文、著書を残したが、一方同23年10月に結成されたパンリアル美術協会の指導的立場に立つなど、現代美術に対しても理解と影響力をもった評論家としても知られる。京大を退官するにあたって関係者によって出版された『ある停年教授の人間像』(永田書房、昭和46年)に、よくその人柄が偲ばれる。没後正四位に叙せられ勲三等瑞宝章が贈られた。
主要著書目録
『日本肖像画』(弘文堂 昭和15年)
『日本美術図譜』(共著 弘文堂 昭和19年)
『西洋美術図譜』(共著 弘文堂 昭和24年)
『世界美術全集22 オリエント(3) イスラム』(共著 角川書店 昭和37年)
『インド-カラーガイド』(保育社 昭和38年)
『インドの美術』(中央公論美術出版 昭和39年 毎日出版文化賞受賞)
『世界の文化3 インド』(編集 河出書房新社 昭和40年)
『インド美術』(共著 日本経済新聞社 昭和40年)
『世界の美術館32 カルカッタ美術館』(編集 講談社 昭和45年)
『芸術の理解・美術芸術学編』(精華社 昭和45年)
『インドの細密画』(中央公論美術出版 昭和46年)
『インド美術論考』(平凡社 昭和48年)

出 典:『日本美術年鑑』昭和52年版(269-270頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「上野照夫」『日本美術年鑑』昭和52年版(269-270頁)
例)「上野照夫 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9759.html(閲覧日 2024-04-19)

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