摩寿意善郎

没年月日:1977/04/25
分野:, (学)

西洋美術史家、とくにイタリア・ルネッサンス美術の研究家で知られた東京芸術大学教授の摩寿意善郎は、4月25日午前10時、肝臓ガンのため東京都渋谷区広尾の日赤医療センターで死去した。享年66であった。摩寿意善郎は、明治44年(1911)1月23日、父善太郎、母ツヤの長男として東京府麻布区に生まれ、大正13年3月、麻布南山小学校を卒業、私立麻布中学校にすすみ、昭和3年同中学校を卒業した。昭和4年第一高等学校文科甲類に入学、一高時代に三谷隆正教授よりブルクハルト「イタリア・ルネッサンスの文化」の講義をうけたのが後年ルネッサンス美術史研究の端緒となった。昭和7年京都帝国大学文学部に入学したが、翌8年東京帝国大学に転じ、昭和11年3月、同大学文学部美学美術史学科を卒業、論文は「美術史の哲学的基礎」。大学卒業と同時に都新聞(現・東京新聞)に入社し文化部美術担当記者となる。東大在学時から同人誌『東大派』に参加、同誌は『潮流』と改称、さらに『日暦』と合併した。『日暦』同人には、高見順、渋川驍、新田潤などがいる。昭和12年3月都新聞を退社し、創立されたばかりの日伊学会主事となり、同年10月、イタリア国立ナポリ東洋学院日本学科講師としてイタリアへ赴き、日本語を教授すると同時にイタリア美術の調査研究に従事した。翌昭和13年9月ナポリ東洋学院講師の任期をおえて帰国、日伊学会主事に復帰、日伊学会は昭和15年日伊協会と改組されたが、主事に留任し、翌16年秋から『日伊文化研究』を発行、当時、佐々木基一、福永武彦、茂串茂らが嘱託として編集に参加していた。昭和17年(1942)10月、『サンドロ・ボッティチェルリ』(アトリエ社)を刊行、そのほか美術史論稿、評論を発表している。昭和21年3月、文部省社会教育局事務嘱託(常勤)となり、芸術課において今日出海課長のもとで課長補佐をつとめ、芸術祭、全国巡回美術展などの企画実施にあたった。また、一方、同21年9月から東京音楽学校イタリア語非常勤講師となり、同24年7月東京芸術大学音楽学部教授に就任、同年12月文部省兼務を解かれ、同時に同大学美術学部において西洋美術史を講義した。昭和29年(1954)、東京芸術大学美術学部へ移籍され教授、以降、没するまで西洋美術史、とくにイタリア美術史を講じて多くの後進を指導した。昭和30年8月、イタリア共和国より騎士勲章を授与され、同11月にはローマ大学客員教授として渡伊、翌31年12月までイタリアに滞在した。昭和42年12月、東京芸術大学美術学部長に就任、以後48年12月まで3期にわたり美術学部長をつとめ、その間、大学紛争、学部校舎の改築などの処理に尽力した。昭和48年(1976)8月、同51年(1973)8月、東京芸術大学イタリア初期ルネッサンス壁画学術調査団団長として、アッシージのサン・フランチェスコ聖堂の調査研究に従事した。
 日伊文化交流にも尽力し、戦後の日伊協会再発足にともない、昭和25年(1950)同協会専務理事に就任、昭和51年12月には同協会副会長の任についた。
 そのほか、平凡社、角川書店、学習研究社、小学館などの各社の世界美術全集の編集委員、監修にもあたった。
主要著書目録
『サンドロ・ボッティチェルリ』 アトリエ社 昭和17年
「ジォットの生涯と作品」 「美術新報」 昭和18年7月
「マサッチオについて」 「美術」 昭和19年10月
「ルネッサンスの画家ボッティチェルリ」 「ルネッサンスの研究」東北大学刊行 昭和24年6月
「フィレンツェ画派」 平凡社『世界美術全集』第16巻 昭和25年
「ラファエルロ」 平凡社『世界美術全集』第17巻 昭和26年
「『教会の勝利』後の西方ローマにおける初期キリスト教美術」 平凡社『世界美術全集』
第12巻 昭和27年
「19世紀のイタリア絵画」 平凡社『世界美術全集』第23巻 昭和28年
「イタリアの中世彫刻・絵画」 平凡社『世界美術全集』第13巻 昭和29年
「18世紀のイタリア絵画」 平凡社『世界美術全集』第19巻 昭和29年
「イタリアの現代絵画」 日伊協会刊「日伊文化研究」復刊第1号 昭和29年
『ルネサンス』 みすず書房 昭和30年
「イタリア・ルネサンスの開花」 平凡社『名画全集』 昭和34年
「イタリア・ルネサンスの展開」 平凡社『名画全集』 昭和34年
「マサッチオ=マンリーノ問題の再検討」 美学会刊「美学」第41号 昭和35年
「レオナルドとその周辺」 筑摩書房刊『世界の歴史』第9巻 昭和36年
「イタリア初期ルネサンス美術」 角川版『世界美術全集』第30巻 昭和36年
「イタリア盛期ルネサンス美術」 角川版『世界美術全集』第31巻 昭和36年
「ローマ美術の世界史的意義」 講談社刊「ローマ美術」(『世界美術大系』) 昭和37年
「イタリア中世美術の展開」 講談社刊「イタリア美術」(1)(『世界美術大系』) 昭和39年
「イタリア美術の発展」 河出書房刊『イタリア』 昭和40年
「ボッティチェルリの『神曲』挿絵」 日伊協会刊「日伊文化研究」第7号 昭和41年
「イタリアに開花したルネサンス」 講談社刊「世界の史蹟」 昭和43年
「イタリア初期ルネサンス、フィレンツェ絵画」 学研版『大系世界の美術』(ルネサンス1) 昭和46年
「16世紀のイタリア美術」 学研版『大系世界の美術』(ルネサンス2) 昭和47年
「フィレンツェの画家ボッティチェルリ」 小学館刊『フィレンツェの美術』第4巻 昭和47年
「Botticelli:Painter of Florence」 小学館刊『フィレンツェの美術』第4巻(英訳) 昭和47年
「ミケランジェロの『聖家族』」 小学館刊『フィレンツェの美術』第5巻 昭和47年
「フィレンツェ洗礼堂門扉の彫刻コンクールについて」 小学館刊『フィレンツェの美術』第3巻 昭和48年
「ピッティ美術館のラファエルロ」 小学館刊『フィレンツェの美術』第6巻 昭和48年
「サンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂の壁画」 小学館刊『フィレンツェの美術』第2巻 昭和48年
「サンタ・マリア・デル・フィオーレ聖堂と洗礼堂とジォットの鐘塔」 小学館刊『フィレンツェの美術』第1巻 昭和49年
「サンタ・マリア・ノヴェルラ聖堂のマサッチオの壁画『三位一体』」 小学館刊『フィレンツェの美術』第1巻 昭和49年
『ボッティチェルリ』 集英社刊『世界美術全集』第4巻 昭和51年

出 典:『日本美術年鑑』昭和53年版(261-263頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「摩寿意善郎」『日本美術年鑑』昭和53年版(261-263頁)
例)「摩寿意善郎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9752.html(閲覧日 2024-04-20)

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