吉川小一郎

没年月日:1978/09/05
分野:, (学)

 今世紀初頭西本願寺が西域に派遣した大谷探検隊の第三次隊員吉川小一郎は、9月5日老衰のため京都市西京区シミズ外科病院で死去した。享年93。明治18年5月23日京都下京区に生れ、植柳小学校卒業後山本亡羊塾で漢学を学び、34年西本願寺室内部勤務、大正6年同絵表所勤務となり、仏表具に従事、昭和39年絵表所を株式会社とし、その代表取締役となって翌年引退した。この間明治39年大谷光瑞に従って満州で古蹟調査を行い、44年5月には消息を断った第三次大谷探検隊員橘瑞超捜索のため西域に赴いた。10月より4箇月敦煌に滞在して調査を行い、ここで橘と邂逅、橘の帰国後単独でトゥルファンの調査発掘を行った。その後西進してカシュガル、コータンを経てタクラマカン砂漠の横断を敢行、更に天山を越えてイリからウルムチに出、トゥルファン、安西、包頭経由、北京から大正3年7月帰国した。3年余の探検旅行では綿密な日記を残し、多数の古美術、経巻、古文書類を収集して、我国の西域研究の発展に寄与した。この功績により、昭和38年紫綬褒章を受け、41年勲三等瑞宝章を授与された。西域探検に従事した各国探検隊の最後の生存者で、晩年にはその温容を慕って西域愛好者が集り、貴重な体験談の記録ものこされている。

出 典:『日本美術年鑑』昭和54年版(318頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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