杉村勇造

没年月日:1978/09/29
分野:, (学)

 大東文化大学名誉教授、財団法人出光美術館常務理事杉村勇造は、9月29日午後8時15分、びまん性汎細気管支炎のため、東京都港区の虎の門病院で死去した。享年77。号は丁父。明治33年11月1日、東京市深川区に生まれ、大正8年財団法人無窮会漢学研究生となり、国学、漢学の指導を受け、同13年同会会長平沼騏一郎の斡旋により3年間北京に留学し、金石学を馬衡に書誌学を徐鴻宝に学んだ。昭和2年外務省文化事業部による北京東方文化事業総委員会の図書籌備員となり、人文科学研究所図書館の設立に従事、同7年満洲国立図書館、国立奉天博物館の開設に携わり、『纂組英華』を刊行した。同8年満日文化協会常務主事、同16年同協会常務理事となった。その間熱河に赴いて『満洲文大蔵経』などの稀覯書を発見、その整理保存に努め、輯安の高句麗墓陵、丸都城址、興安嶺の遼代帝王陵、遼陽の漢墓等の調査に参加し、『旅順博物館図録』の編集刊行に当たり、建国大学講師を委嘱された。昭和19年社団法人満洲芸文協会理事(美術局長兼翻訳処長)となり、同21年9月東京に引揚げた。同22年8月国立博物館嘱託、同24年6月文部技官に任命、同26年2月考古課土俗室長、同33年2月資料課図書室長を歴任、同37年東京国立博物館を定年退職した。昭和41年9月、出光美術館顧問、同43年大東文化大学教授となり、中国・日本文化史、美術史、中国語を講じ、同47年同学図書館長、同年出光美術館理事、のち常務理事となり、同50年5月大東文化大学名誉教授の称号を授与された。その間東京大学文学部、熊本大学法文学部及び文学部、日中学院の講師を委嘱され、昭和32年、41年、48年の3回訪中した。中国在住は22年に亙り、中国人学者に知己頗る多く、中国に調査研究に往来した日本人学者とも親交あり、流暢な中国語と相俟って、日中の文化交流と友好に生涯尽瘁した。美術関係の主要著作としては、『乾隆皇帝』(昭和36年、二玄社)『古代中国の美』(仏像、土偶、銅器・玉器の3冊。同37、38年、美術出版社)、『徐文長・石濤・趙之謙』(同39年、求竜堂)、『文房四宝』(全4冊。同47年、淡交社)、『清の官窯』(同48年、平凡社)、『遼の陶磁』(同49年、平凡社)がある。歿後昭和55年に刊行された『八十路―杉村勇造遺稿集』は、戦後の訪中日記、中国在住時代の回想、年譜、著作目録等を収めている。

出 典:『日本美術年鑑』昭和54年版(321頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2016年06月20日 (更新履歴)
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