田中重久

没年月日:1979/05/24
分野:, (学)

仏教美術研究に生涯をかけた田中重久は、5月24日心筋こうそくのため京都市右京区の自宅で死去した。享年73。1905(明治38)年7月17日滋賀県に生れ、1925年県立膳所中学校卒業。同年4月東京美術学校に入学、26年3月中退。1931年早稲田大学国文科卒業。33年11月聖徳太子奉賛会研究員となる。36年6月、京都市文教局文化課勤務。これより京都の古美術案内の著書を逐次発表。
 聖徳太子関係の研究の成果として、1942年「聖徳太子」を著わし、版を重ねた。その後、京都府立一中、洛北高校教諭の傍ら飛鳥時代より奈良、平安、鎌倉時代に及ぶ仏教美術関係の論文を多数発表した。川勝政太郎主宰「史迹と美術」誌に掲載論文は70篇に及ぶ。
 「日本壁画の研究」は第二次大戦中に執筆、1944年に刊行されたものを79年に追補、復刻した。日本壁画の土、板、岩各壁画の総目録を意図、実査研究を行った。「日本に遣る印度系文物の研究」においては仏伝芸術、釈迦像、塔、堂、壁画の源流を追求した。
 「別尊京都仏像図説」は、如来像彫刻をまとめ、その後の各地方の文化財調査の先鞭をつけた。1972年停年退職後も、死去の日まで、在野の硯学として健筆をふるった。
主要著書
京都の古建築 昭13年4月 京都市
京都の彫刻 14年5月 同
京都の庭園 15年5月 同
西の京 薬師寺・他 16年5月 近畿観光会
京都の仏画 16年5月 京都市
京都史蹟古美術提要 16年9月 同
京都仏画図説 16年10月 京都桑名文星堂
奈良朝以前寺院史の考古学的研究 上・下 16年12月 東京考古学会
京都古美術入門 17年5月 京都市
聖徳太子 17年11月 大阪 東光堂
別尊京都仏像図説 18年1月 京都臼井書房
聖徳太子絵伝と尊像の研究 18年8月 京都山本工芸部
日本に遣る印度系文物の研究 18年9月 大阪 東光堂
広隆寺大鏡(英文) 25年9月 ユネスコ協会
弥勒菩薩の指 35年1月 京都山本工芸部
観音像 昭52年11月 京都綜芸舎
奈良朝以前寺院址の研究 53年8月 白川書院
日本壁画の研究 54年5月 京都綜芸舎

出 典:『日本美術年鑑』昭和55年版(281頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「田中重久」『日本美術年鑑』昭和55年版(281頁)
例)「田中重久 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9735.html(閲覧日 2024-03-29)

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