大兼實

没年月日:1976/03/23
分野:, (洋)

二紀会監事の洋画家、大兼実は、3月23日午前4時30分、気管支炎のため東京狛江市の自宅で死去した。享年67。大兼実は、明治41(1908)年10月21日、東京に生まれ、大正15年太平洋画会研究所に入所、昭和4(1929)年第16回二科会展に「池畔夏景」が初入選となり、昭和8(1933)年文化学院美術科を卒業、同9年中国の上海、蘇州、杭州、南京などに写生旅行、同12年渡欧した。初めローマの国立美術学校に学び、フレスコ画法を研修、イタリア各地を歴遊したあとパリに移り、アカデミー・グラン・ショミエールで学び、昭和19(1944)年まで滞在した。その間、サロン・ドートンヌ、サロン・ナショナル・デ・ボザール、サロン・ド・チコイレリーなどに出品、昭和18(1943)年にはベルリンで個展を開いた。昭和20(1945)年に帰国し、翌21年第1回日展に出品、一水会会員に推挙され、同22年第3回日展では委員を依嘱されたが、二紀会創設に際してこれに参加し、以後、二紀会に作品を発表すると共に監事、委員として活躍した。
二紀会出品主要作品年譜
昭和23年2回展「青い服のマネカン」、同26年5回展「ソレント」「古い街」「パリの裏街」「雨後のパリ郊外」、同27年6回展「クロワートル」「ブルタニュ」「ピストロ」「古い街」、同29年8回展「博物館の庭」「ベランダ」「港街」、同31年10回展「窓」「艇庫の一隅」、同33年12回展「商館のバルコン」、同34年13回展「長崎商館のバルコン」「和蘭陀屋敷のテラス」「採光(天主堂の一隅)」、同36年15回展「長崎十二番館」「桜島」、同39年18回展「大和の民家」「大和の村」、同41年20回展「法隆寺の村」「斑鳩の里の小路」、同45年24回展「信濃路」、同47年26回展「今井の露路(橿原)」、同49年28回展「塔のある酒倉」、同50年29回展「石舞台古墳」

出 典:『日本美術年鑑』昭和52年版(272-273頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「大兼實」『日本美術年鑑』昭和52年版(272-273頁)
例)「大兼實 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9706.html(閲覧日 2024-03-28)
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