高畠達四郎

没年月日:1976/06/26
分野:, (洋)

 独立美術協会会員の洋画家、高畠達四郎は、6月26日午前4時7分、心筋こうそくのため東京都港区の自宅で死去した。享年80。高畠達四郎は、明治28(1895)年10月1日、東京神田の雑穀問屋村新(屋号)に生まれ、東京高等師範学校附属小、中学校をへて慶応義塾大学理財科(現・経済学部)に入学したが、画家を志望して中退し、帝展に出品したあと、大正10(1921)年渡欧、昭和3(1928)年までフランスに滞在した。その間、アカデミー・ランソンでモーリス・ドニ、ピエル・ボナールなどに学び、滞仏後半期には、アンドレ・ドラン、モイーズ・キスリングなどの作風に傾倒し、サロン・ドートンヌ、サロン・デ・ザンデパンダンに出品した。藤田嗣治福島繁太郎、辰野隆らと交友し、福島コレクションにも関係した。帰国後、国画会に作品を発表したが、昭和5年、伊藤廉林武、三岸好太郎らと独立美術協会を創立、以後、独立展を中心に活躍して作品を発表した。戦後しばらくは疎開先の熱海市に居住し、昭和26(1951)年第5回美術団体連合展に出品した「暮色」で第3回毎日美術賞(昭和27年1月)を受けた。素直な自然観照による素朴な、プリミティヴィスムを感じさせる独自な様式を確立し、以後、ほとんど風景を主として製作したが、昭和28(1953)年の渡欧を皮きりにその後しばしば渡欧し、内外の風景を多く描いた。昭和51年5月、生涯にわたる大回顧展を開催したが、その1ヶ月後に死去した。
略年譜
明治28年(1895) 10月1日、東京市神田区に高畠新吉・たまの四男三女の末子として生まれる。家業は雑穀問屋、屋号村新。
明治32年 4月、東京女子高等師範学校幼稚園に入る。同窓にのちの仏文学者鈴木信太郎がいた。
明治35年 4月、東京高等師範学校附属小学校に入学。同窓に鈴木信太郎、石川欣一、福島繁太郎、荘清彦、岩崎彦弥太がいる。この頃、駿河台、湯島の聖堂、神田明神など行動範囲がひろがる。
明治41年 3月、東京高等師範学校附属小学校卒業、唱歌、図画、体操の成績がとくに良かった。4月、東京高等師範学校附属中学校に入学、担任教師諸橋轍次、柔道、水泳、野球などのスポーツに熱中する。柔道初段
大正2年 3月、東京高等師範学校附属中学校を卒業。4月、第七高等学校文科、海軍兵学校に合格するも入学せず。
大正3年 4月、慶應義塾大学理財科に入学。
大正5年 12月、画家志望の念強まり、慶応義塾大学理財科を中退、しばらく本郷洋画研究所に通う。
大正8年 2月、光風会第7回展に出品、初入選となる。
大正10年 10月、第3回帝展に「Hの肖像」が入選となる。11月、神戸を出帆、渡仏の途につく。12月、パリ着、ト゛ランブル街に落ちつく。
大正11年 1月、アカデミー・ランソンに通いはじめる。講師にモーリス・ドニ、ピエル・ボナール、エドワール・ビュイヤールなどがいた。このとし、地震学の石本巳四雄、仏文学者辰野隆、山田珠樹、音楽の加藤成之らと知り合い、観劇や音楽会にともに行く。ベルギー、ドイツ、オーストリー、ハンガリー、イタリアなどにも旅行する。
大正12年 このとし、アトリエをロルヌ街に移す。同番地に福沢一郎中山巍、大石七介がいた。このころアンドレ・ドラン、アンドレ・ロート、モーリス・ドニ、モイーズ・キスリングに傾倒する。秋、友人の福島繁太郎がパリに来、旧交をあたためる。
大正14年 10月、第6回帝展に「冬のカッシス」が入選する。滞仏中サロン・ドートンヌ、サロン・デ・ザンデパンダンにも出品。このとし、友人の鈴木信太郎をパリに迎える。
昭和3年 8月、滞仏7年の生活を終えて帰国、小石川区に居を構える。9月、第15回二科会展に「シャティヨン風景」「プチ・ジャン」「静物」を出品。
昭和4年 5月、梅原龍三郎のすすめにより第4回国画会展に滞欧作12展、「厨」「ダルレー広場」「浴女」「裸体」「少女」「シャチオン」「顔」「フォンテンブロー」「肖像」「春日風景」「風景」「静物」を出品、会友に推される。
昭和5年 2月、第5回国画展に「静物1」「静物2」「郊外風景」「子供」「女」を出品、会員となる。3月、第2回聖徳太子奉讃美術展に「老人」を出品。11月、三岸好太郎、児島善三郎林武林重義清水登之伊藤廉川口軌外中山巍鈴木亜夫鈴木保徳福沢一郎里見勝蔵小島善太郎とともに独立美術協会を設立、創立会員となる。
昭和6年 1月、第1回独立展に「プチ・ジャン」「コンポジション」「二人少女」など10点を出品。2月、石川文子と結婚す。
昭和7年 1月、長男正明生まれる。3月、第2回独立展に「汽車内」「黒衣少女」など6点を出品。4月、父新吉没(84歳)。
昭和8年 3月、第3回独立展に「卓上花束」「出稼の群」「雪景」を出品。9月、長女由貴子生まれる。
昭和9年 3月、第4回独立展に「レダ」「鶴」を出品。5月、母たま没(78歳)。
昭和10年 3月、第5回独立展に「石膏と花束」「漁港」「静物」「店頭」「馬と人」を出品。東京府美術館10周年記念現代綜合美術展に「老人」(1930)がえらばれる。
昭和11年 4月、第6回独立展に「薔薇」「金鵄」「海岸」「静物(石膏)」を出品。
昭和12年 3月、第7回独立展に「海女」「海幸」を出品。4月、帝国美術学校西洋画科教授となる。
昭和13年 3月、第8回独立展に「彫刻室」「鳩」「窓」を出品。7月、日動画廊で初の個展「高畠達四郎第1回近作展」を開催、「石膏と花」「果物」など20展余を出品する。
昭和14年 3月、第9回独立展に「夜雪」「ランプと女」「花」「岬」を出品。
昭和15年 3月、独立美術協会第10回記念展に「農夫」「働く男」「静物」を出品。7月、二男未明生まれる。10月、紀元2600年奉祝美術展に「夜店」を出品。
昭和16年 3月、第11回独立展に「由貴子(八歳)の像」「春野」「漁村」を出品。昭和17年 3月、第12回独立展に「岩村造船所」「花束」「角力」を出品。
昭和18年 3月、第13回独立展に「収穫」「富士」「熱海」「静物」を出品。このとし、満州を旅行する。
昭和19年 2月、第14回独立展に「新京の関帝廟」「満州の街」を出品。
昭和20年 4月、小石川のアトリエ、空襲で焼ける。熱海市の別荘に移居する。このとし、第2次世界大戦終結。
昭和22年 4月、第15回独立展に「由貴子の像」「熱海」「バラ」「冬曇」を出品。6月、第1回美術団体連合展に「曇」「麦畠」を出品。
昭和23年 5月、第2回美術団体連合展に「未明の像」「熱海風景」を出品。10月、第16回独立展に「樟樹」「西野元氏像」「静物果物」「春庭」を出品。
昭和24年 5月、第3回美術団体連合展に「街道」を出品。10月、第17回独立展に「風景」「無電局」「冬」「夏」を出品。
昭和25年 3月、フォルム画廊で個展を開催。5月、第4回美術団体連合展に「熱海梅園」を出品。10月、第18回独立展に「橋(釧路)」「春(熱海)」「霧(釧路)」を出品。
昭和26年 1月、第2回秀作美術展に「熱海梅園」がえらばれる。2月、第3回読売アンデパンダン展に「静物」を出品。5月、第5回美術団体連合展に「暮色」を出品。10月、第19回独立展に「巴里広場」「プチ・ジャン」を出品。第1回サンパウロ・ビエンナーレ展に「熱海風景」を出品。12月、フォルム画廊で個展を開催。
昭和27年 1月、「暮色」(第5回美術団体連合展出品作)に対して第3回毎日美術賞が贈られる。第3回秀作美術展に同作品がえらばれる。2月、第4回読売アンデパンダン展に「畑」を出品。5月、第1回日本国際美術展に「春」「麦」「風景」を出品。東京芸術大学講師となる。10月、第20回独立展に「浅間山」「浅間山(夕)」「八ツ岳」を出品。
昭和28年 1月、第4回秀作美術展に「浅間山」がえらばれる。2月、第5回読売アンデパンダン展に「城」「瀬戸内海」を出品。3月、東京芸術大学講師を辞す。渡仏。9月、国立公園絵画展に「琴平宮」を出品。10月、第21回独立展に「ノートルダム」「パリの遊覧船」「河」「戴冠式」を出品。
昭和29年 2月、イギリスをまわって帰国。3月、サヱグサ画廊で高畠達四郎滞欧作油絵鑑賞展を開催、16点を出品。5月、第1回現代日本美術展に「コロップの林」「救命船」を出品。10月、第22回独立展に「肖像」「初秋梅園」を出品。
昭和30年 5月、第3回日本国際美術展に「裸木と海」「春雪(熱海)」を出品、佳作賞を受賞する。10月、第23回独立展に「家」「静物」「梅園紅葉」を出品。
昭和31年 1月、第7回秀作美術展に「春雪」がえらばれる。4月、神奈川県立近代美術館で高畠達四郎岡鹿之助の二人展が開催され、69展が出品される。5月、第2回現代日本美術展に「梅」「山脈」を出品。10月 第24回独立展(創立25周年記念)に「裸木」「花と浅間」「樹木(熱海風景)」を出品。このとし、居を港区に移す。
昭和32年 1月、第8回秀作美術展に「梅」がえらばれる。5月、第4回日本国際美術展に「石垣と木」を出品。10月、第25回独立展に「岬(伊豆赤沢)」「唐松と雲」を出品。
昭和33年 1月、第9回秀作美術展に「岬」がえらばれる。2月、第2回国際具象派美術展に「望洋」「樹蔭」を出品。5月、第3回現代日本美術展に「風景A」「風景B」を出品。10月、第26回独立展に「丘(保土ヶ谷)」「山桃と海」「馬車」を出品。
昭和34年 1月、第10回秀作美術展に「丘(保土ヶ谷)」がえらばれる。5月、第5回日本国際美術展に「春樹」を出品。10月、第27回独立展に「花と浅間山」「熱海」「道と海」を出品。11月、毎日美術賞10年記念展に「暮色」(1951)、「戴冠式」(1953)、「滞船(江之浦)」(1958)、「自転車」(1959)、「浅間山」(1959)がえらばれる。
昭和35年 1月、第11回秀作美術展に「道と海」がえらばれる。4月、第3回国際具象派美術展に「樟と海」を出品。5月、第4回現代日本美術展に「岬(熱海)」「風景(熱海)」を出品。10月、第28回独立展に「大王崎灯台」「双柿樹」を出品。このとし、親友福島繁太郎没(65歳)。
昭和36年 5月、第6回日本国際美術展に「風景」を出品。10月、第29回独立展に「巨樹」「高原と馬」を出品。
昭和37年 4月、武蔵野美術大学講師となる。5月、第5回現代日本美術展に「風景(軽井沢)」「漁港鵜原」を出品。国際形象展に創立同人として参加し、第1回展に「漁村(須崎の家)」「高原風景」「石垣の村」を出品。
このとし、新橋演舞場のどん帳「双思樹」完成。
昭和38年 5月、第7回日本国際美術展に「櫟と空」を出品。7月、北京、上海で開催の現代日本油絵展に「高原と馬」を出品。10月、第2回国際形象展に「蝶を狙う魚」「雪景(軽井沢)」「乗馬高原」「画家と家族」を出品。第31回独立展に「村落(軽井沢)」「窓辺静物」を出品。
昭和39年 1月、第15回秀作美術展に「暮色」がえらばれる。2月、武蔵野美術大学教授となる。3月、渡欧。パリ、ベニス、フィレンツェ、マドリード、バルセロナをまわる。5月、第6回現代日本美術展に「白と栗毛」を出品。
昭和40年 1月、帰国。6月、「毎日美術賞受賞作家シリーズ・高畠達四郎展―受賞作から滞欧作へ-」が毎日新聞社の主催により東京高島屋、大阪大丸で開催される。10月、第33回独立展に「初秋浅間」「秋果静物」を出品。
このとし、大阪中之島住友生命ビルに壁画「幻想のパリ」を完成。
昭和41年 1月、第17回秀作美術展に「花のノートルダム」がえらばれる。5月、第7回現代日本美術展に「古寺(ヴェズレー)」を出品。6月、神奈川県立近代美術館の近代日本洋画の150年展に「静物」(1954)がえらばれる。10月、長野県信濃美術館の日本の洋画100年史展に「ノートルダム」(1964)がえらばれる。第34回独立展に「軽井沢風景」「秋果静物」を出品。第5回国際形象展に「ダリアの静物」「初秋浅間高原」を出品。12月、渡欧。
昭和42年 10月、南仏、イタリア各地、ポルトガルなどで制作し帰国する。第35回独立展に「オーヴェル古寺」「ニースの冬」を出品。近代洋画名品展(名古屋)に「プチ・ジャン」(1928)がえらばれる。
昭和43年 2月、パリで藤田嗣治の葬儀に参列。4月、フランス、イタリア、ポルトガル各地の風景を主題とした滞欧作品展を日動画廊で開催。5月、第8回現代日本美術展に「二重橋」を出品。10月、第36回独立展に「京子の像」「モンテカルロ」を出品。
昭和44年 5月、第9回現代日本美術展―現代美術20年の代表作展―に「裸木と海」(1955)がえらばれる。10月、第37回独立美術展に「初秋浅間」「ニース散歩道」を出品。
昭和45年 10月、第38回独立展に「エトルタ」「浅間山」を出品。
昭和46年 4月、東京国立近代美術館の近代日本美術における1930年展に「プチ・ジャン」(1928)、神奈川県立近代美術館の戦後美術のクロニクル展に「暮色」(1951)がえらばれる。10月、第39回独立展に「離れ山」「犬吠埼燈台」を出品。
昭和47年 10月、第40回独立展に「サンクルー(パリ郊外)」「ニース夜景」を出品。マントン、べチネア、サンマルコの風景を主とした小品展を日動画廊で開催。新潟県美術博物館の近代日本洋画の巨匠たち展に「暮色」(1951)、「静物」(1955)がえらばれる。
昭和48年 10月、第41回独立展に「シシリー・カルタジローネの町」「セーヌ河岸」を出品。
昭和49年 10月、第42回独立展に「上高地」「ヴィンチ村」を出品。
昭和50年 3月、茨城県立美術博物館の近代日本洋画の巨匠展に「暮色」(1951)がえらばれる。10月、第43回独立展に「浅間山」「花」を出品。
昭和51年 1月、水彩素描展を日動画廊で開催。4月、日本の四季展に「暮色」(1951)がえらばれる。5月、日本経済新聞社主催「素朴な心の巨匠・高畠達四郎展」が東京・高島屋で開催される。6月26日午前4時7分、心筋コウソクのため東京都港区の自宅で死去。7月3日 東京・青山葬儀所において独立美術協会葬(喪主・妻文子、葬儀委員長土方定一)として告別式が行われる。同日、旭日中綬章を贈られる。
(本年譜は、昭和51年5月の「素朴な心の巨匠・高畠達四郎展」目録所収の年譜〔作成・弦田平八郎〕より転載、一部を訂正、追加した)

出 典:『日本美術年鑑』昭和52年版(279-282頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「高畠達四郎」が含まれます。
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