倉員辰雄

没年月日:1978/05/05
分野:, (洋)

洋画家、日展参与、創元会常任委員の倉員辰雄は、5月5日急性肺炎のため東京都阿佐谷の河北病院で死去した。享年78。明治33年1月11日福岡県八女郡に生まれ、中学明善校卒業後台湾銀行に奉職したが、大正11年退職後上京し翌年川端画学校に学び、同13年東京美術学校洋画科に入学、岡田教室に学び昭和4年卒業した。卒業の年第10回帝展に「風景」が初入選、同10年第二部会で「崖」が文化賞特選、翌11年文展鑑査展に「巖」で選奨(翌年この作品で昭和洋画奨励賞を受く。)、ついで同12年改組第1回文展に「嶺」、翌年の第2回展に「嶽」で連続特選を受賞した。同16年創立された創元会々員となった。同29年第10回日展を最初に5回審査員をつとめ、同33年日展会員、同35年日展評議員、同51年日展参与となった。この間、同37年より翌年にかけて渡欧した。日展出品作には、他に「小梨咲く」(33年)、「上牧早春」(35年)、「萠え」(51年)など。

出 典:『日本美術年鑑』昭和54年版(305頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「倉員辰雄」『日本美術年鑑』昭和54年版(305頁)
例)「倉員辰雄 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9666.html(閲覧日 2024-03-28)

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