島村三七雄

没年月日:1978/10/25
分野:, (洋)

 もと東京芸術大学教授、独立美術協会会員の島村三七雄は、10月25日午前0時25分、食道ガンのため東京板橋区日大附属板橋病院で死去した。享年74。島村三七雄は明治37年(1904)大阪市に生まれ、昭和4年東京美術学校西洋画科を卒業、同年フランスへ留学、昭和11年まで滞在した。その間、フレスコ画法を修得、またサロン・ドーンヌ、サロン・デ・ザルチスト・フランセなどに出品した。帰国後は昭和15年第10回独立展に出品、独立美術協会会友となり、同20年同会会員となった。昭和32年東京芸術大学美術学部講師として壁画フラスコ画法の指導を担当、同41年助教授、同42年教授に任じられ、同46年停年退官した。昭和42年には前年の作品「巽橋」で日本芸術院賞を受賞、没後、勲四等旭日章叙勲した。

略年譜
明治37年(1904) 7月9日、大阪市北区に父玉造、母ハルの長男として生まれる。生家は2代続いた漢方医であった。
大正13年 3月、大阪府立天王寺中学校を卒業、4月、東京美術学校西洋画科に入学。
昭和3年 10月、帝展第9回に「読書」入選。
昭和4年 3月、東京美術学校西洋画科を卒業、在学中は藤島武二教室に学んだ。4月、小西フサノ(松江市出身、のち服飾デザイナー)と結婚。5月、渡仏。9月、サロン・ドートンヌに「午後」が入選。
昭和5年 パリ国立美術学校ルシアン・シモン教室に入学。
昭和7年 3月、パリ国立美術学校を中退し、アカデミー・ランソンでフレスコ画法を学ぶ。学資を得るためにO.D.Vギヨンネの壁画制作助手となる。
昭和8年 4月、サロン・デ・ザルチスト・フランセに「幼児の思い出」入選。
昭和9年 サロン・デ・ザルチスト・フランセに「ユゲット・トノン嬢肖像」入選、マンション・オノラブル賞受賞。
昭和10年 サロン・デ・ザルチスト・フランセに「日本大使館付武官澄田中佐像」入選。9月、帰国。在仏時代にルーブル博物館でマネ「オランピア」、モーリス・ドニ「水浴」、セザンヌ「カルタ遊び」、ドガ「競馬場にて」、ルノアール「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」、チチアン「聖家族」を模写。
昭和12年 3月、日本橋三越で滞欧作品展開催、67点を出品、3点に撤去命令。
昭和14年 第3回海洋美術展に「5月の東京湾」出品。
昭和15年 5月、第4回日本壁画会展にフレスコ画「英霊に捧ぐ」「工業の日本」出品。会員となる。第10回独立美術展に「村婢」「支那楽」「駅」出品、独立賞をうけ、会友となる。紀元2600年奉祝展「万寿山昆明湖」出品。
昭和16年 第18回白日会展に「東安市場」(大阪市立美術館蔵)出品。第11回独立展「安住」「粥」第1回大日本航空美術展「渡洋爆撃」第5回日本壁会展「東亜」「秋」第5回海洋美術展「渡洋」(招待作品)
昭和17年 第12回独立展「野」「小婢」第19回白日会展「南方の女達」第6回日本壁会展「南方を偲ぶ(南方果実9)
昭和18年 第13回独立展「熱戦」「敢斗」「猛攻」第3回大日本航空美術展「整備」(逓信大臣賞受賞)陸軍美術展「砲撃」海軍美術展「司令塔の近藤信竹大将」第10回白日会展「母子」
昭和19年 第14回独立展「爐」「厨房」「クラリネットを吹く男」「裁縫師」第21回白日会展「浪高き夕」
昭和20年 10月、独立美術協会会員となる。
昭和22年 第15回独立展「田園賦」「サンカトリーヌの祭日」
昭和23年 第16回独立展「カナペの裸婦」「足を拭う女」「裸婦」「銀座スケッチ」
昭和24年 第17回独立展「裸婦A」「裸婦B」「裸婦C」
昭和25年 第18回独立展「ねむる裸婦」「鏡の前」
昭和26年 第19回独立展「裸婦」「横たわる裸婦」「海辺」
昭和27年 第20回独立展「裸女」「青いクッション」
昭和28年 第21回独立展「港の夏」「真鶴港」
昭和29年 第22回独立展「伊豆の漁師」
昭和30年 第23回独立展「愁」「真鶴港」「娘と魚」
昭和31年 第10回新樹会展「室内」
昭和32年 第25回独立展「樹陰の裸婦」7月、第11回新樹会展に「春」出品、会員となる。9月、東京芸術大学美術学部講師に任ぜられる。25周年記念独立展「秋」「小鳥屋と子供」
昭和33年 第26回独立展「裸婦」「自転車」第12回新樹会展「秋」「加茂川」
昭和34年 独立春季展「舞妓」第27回独立展「八坂」「鵜飼」「祇園」第13回新樹会展「三月堂」「大池の葦」
昭和35年 第28回独立展「高瀬川」「囃子」第14回新樹会展「長良川」「菖蒲」
昭和36年 第29回独立展「鳩と少年」「春秋」第15回新樹会展「白毫寺村」「舞妓」「桜」
昭和37年 第30回独立展「梅」「舞妓」第16回新樹会展「梅」
昭和38年 第31回独立展「都をどり仕度部屋」「菖蒲」第17回新樹会展「舞妓」「先笄の舞妓」「梅」
昭和39年 第32回独立展「舞妓集まる」(G賞受賞)「舞妓化粧」第18回新樹会展「舞妓の化粧」第1回欅会展「都をどり楽屋」
昭和40年 4月、東京都美術館運営審議会員を委嘱される。第33回独立展「舞妓憩う」「天満天神大太鼓」第19回新樹会展「菖蒲」「憩う舞妓」第2回欅会展「あやめ」「菖蒲」
昭和41年 第34回独立展「巽橋」第20回新樹会展「菖蒲」「三月堂」「鵜飼」「舞妓」第3回欅会展「鼓」「向日葵」6月、東京芸術大学美術学部助教授。
昭和42年 4月、「巽橋」により日本芸術院賞をうける。第35回独立展「廊下」「仮縫」第21回新樹会展「舞妓化粧」「菖蒲」第4回欅会展「菖蒲」「紅」
昭和43年 第36回独立展「部屋の舞妓」「舞妓」第22回新樹会展「舞妓化粧」「加留多遊び」第5回欅会展「アネモネ」(1)「アネモネ」(2)
昭和44年 4月、東京芸術大学美術学部教授に任ぜられる。第37回独立展「舞妓の生活(1)」「同(2)」第23回新樹会展「菖蒲」「舞妓(舞妓容浴中浴外)」第6回欅会展「菖蒲」
昭和45年 第24回新樹会展「菖蒲(1)」「同(2)」「憂う舞妓」第7回欅会展「舞妓化粧」
昭和46年 3月、東京芸術大学を停年退官する。第39回独立展「祇園まち」(都美術館蔵)第25回新樹会展「舞妓」「菖蒲」「鼓(都をどり囃子)」
昭和47年 第40回独立展「花見町」第9回欅会展「舞妓」「鼓」
昭和48年 12月文化庁高松塚古墳保存対策調査会委員を委嘱される。第41回独立展「都をどり(1)」「同(2)」第27回新樹会展「鼓」「祇園」「囃子」「花菖蒲」第10回欅会展「花菖蒲」「舞妓二人」「鼓」
昭和49年 第42回独立展「祇園」第28回新樹会展「妓打つ舞妓」「菖蒲」第11回欅会展「舞鼓鏡の前」「菖蒲」
昭和50年 第43回独立展「都をどり楽屋」「のれんの前」第12回欅会展「節分の舞妓」「鏡の前の舞妓」
昭和51年 第44回独立展「舞妓二人」第30回新樹会展「舞妓」(化粧する舞妓)
昭和52年第45回独立展「祇園まち5時」第14回欅会展「都をどり」「舞妓化粧」
昭和53年10月25日午前0時25分、食道ガンのため東京板橋区の日大附属板橋病院で死去。

出 典:『日本美術年鑑』昭和54年版(322-324頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2016年11月21日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「島村三七雄」が含まれます。
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