横堀角次郎

没年月日:1978/12/22
分野:, (洋)

 洋画家、春陽会会員横堀角次郎は、12月22日肺炎のため東京文京区の東京医科歯科大学付属病院で死去した。享年81。号は木黄。明治30年2月17日群馬県勢多郡に生まれ、前橋中学から東京芝の正則中学校に転校し大正3年卒業した。卒業の年頃から油絵を描き始め、同級の椿貞雄と岸田劉生を訪ね、翌年の巽画会第15会展に出品した「自画像」で三等賞銅牌を受賞、また劉生の草土社創立に木村荘八、椿らとともに参加した。銅6年、劉生に従って鵠沼に転居したが、同12年の関東大震災により一時帰京後東京に戻った。この間、同9年に小石川の野島邸で最初の個展を開催。同12年春陽会第1回展に「鵠沼風景」「静物」を出品し春陽会賞を受賞、翌年の第2回展にも同賞を受賞して次年より無鑑査となり、昭和5年春陽会会員となった。また、大正13年には三岸好太郎、鳥海青児等と麓人社を結成、翌年は東大安田講堂の壁画制作に小杉未醒の助手として従事した。昭和18年半年間渡満し、熱河省、ハルピンなどで絵画指導並びに写生を行った。戦後は同30年欧米各地を、同47年アメリカ・メキシコを旅行、この間美術団体連合展(同22年、毎日新聞社主催)に出品。同27年に水墨画展(上野、松坂屋)を開催、同43年には中川紀元宮田重雄水谷清等と墨彩会を結成し同49年まで毎年ギャルリ・アルカンシェル(新宿)で水墨画展を開催したほか、同35年以降隔年で銀座資生堂画廊で個展を開催した。主要作品には、郷里の赤城山を描いた一連の作品(「早春の赤城」昭和23年等)の他、「川べり」(大正12年)「東大三四郎池」(昭和35年頃)などがある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和54年版(326頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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