橋浦泰雄

没年月日:1979/11/21
分野:, (洋)

 民族学の研究家でもとプロレタリア美術運動の画家、橋浦泰雄は、11月21日午前3時、老衰のため東京杉並区の西荻窪診療所で死去した。享年90。橋浦泰雄は、1888(明治21)年11月30日、鳥取県岩美郡の地主の4男に生まれ、1902(明治35)年岩井高等小学校を卒業、家業(桑畑の耕作)を手伝う。1904年「平民新聞」の購読者となり、社会主義思想の影響をうける一方、「明星」の読者で文学に関心をよせた。1908年鳥取歩兵40連帯に入隊し満州遼陽村に駐屯、在役中に弟時雄が孝徳秋水事件に関連して逮捕投獄された。11年満州から帰郷、養蚕、養鶏に従事、白井喬二らの白日会(のち水脈文芸会)の同人となる。1912年『水脈』創刊、また水脈主催美術展を開催する。詩、戯曲、小説などを発表また投稿したが、14年坂田家養子となり上京し、16年有島武郎、秋田雨雀、藤森成吉、足助素一などを知る。1918年養家の妻死去し、このとき画家になることを決意し、1920(大正9)年4月牛込築土八幡停留所前の骨董店で開かれ黒耀会第1回展に参加出品した。黒耀会は、橋浦のほか、望月桂、林倭衛などのほか大杉栄、馬場狐蝶、久板卯之助、荒畑寒村などアナーキスト、サンディカリストらの参加が多く、社会革命と芸術革命の一致を主張した、最初のプロレタリア美術展であった。同年11月京橋星製薬階上で第2回展、翌21年の第3回展を開き、官憲による撤収命令などがあり第4回展のとき解散命令がだされている。橋浦は1920年第2回帝展に出品、落選している。1926(大正15)年11月日本プロレタリア芸術連盟(プロ芸)が結成され、その美術部に所属、28年無産者芸術連盟(ナップ)結成、中央委員となり、11月東京府美術館で第1回プロレタリア美術大展覧会開催され、「早く行っといで」出品。1929年日本プロレタリア美術家同盟(AR、1934年解散)が再組織され中央委員長に選ばれた。橋浦は1925年柳田国男を知り、柳田に導かれて民俗調差に従うようになり1934年以降は民俗学に関する報告、著書を多く刊行しているが、画家としては個展を中心に活動している。1922年7月牛込矢来倶楽部で第1回展を開いたあと、同年11月鳥取市仁風閣、1924年4月札幌豊平館において、25年札幌と函館において、29年長野県松本公会堂、30年鳥取商工奨励館などでそれぞれ個展を開催。戦後は日本美術会、平和美術展などに出品、1960年にはソビエト共産党の招待により訪ソ、71年第4回全日本水墨画協会「黒い海」「高原の湿国」を出品、76年第3回日象展に「大根で道を教える」「牡丹日」「故郷は海日」を出品、79年5月鳥取市福祉文化会館で回顧展を開催した。

出 典:『日本美術年鑑』昭和55年版(298頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
to page top