幸田暁治

没年月日:1975/11/16
分野:, (日)

日本画家幸田暁治は、11月16日急性肺炎のため京都府立病院で死去した。享年満50歳。本名稔。大正14年10月27日京都市に生れ、京都市立美術工芸学校絵画科を経て、絵画専門学校を卒業した。昭和30年池田遙邨の画塾青塔社に入塾したが、同48年からは無所属となり、個展活動に入った。同氏は幼年期より病弱で、それが後年まで影響をのこし、戦後も闘病生活と、カソリック信仰の中での制作がつづけられた。作品は、昭和31年日展「鳶」が初入選以来同47年まで10数回入選し、また京展、日春展、青塔社展等でしばしば受賞している。そのほか多くの会での活躍がみられるが、昭和46年第1回山種美術館賞展では「収穫」が推選となっている。作品は、童女を中心とする人物画ユートピアの風景、擬人風な花、動物を通じて心象的日本画の新しい内面を探求する。
作品略年譜
昭和30年(1955) 「梟」(関西展賞・読売賞)関西展。
昭和31年 「鳶」日展初入選。
昭和32年 「駝鳥」日展。「えみう」(知事賞)青塔社展。
昭和33年 「駱駝」(市長賞)京都市展。
昭和34年 「駱駝」日展。「孔雀」(京都美術懇話会賞)京都市展。「象」朝日新人展推薦。
昭和35年 「孔雀」日展。「禿こう」(市長賞)京都市展。幸田暁治・中町進二人展、土橋画廊。
昭和36年 「七面鳥」日展。「棲息」朝日新人展推薦。
昭和37年 「孔雀」日展。
昭和38年 「水鳥」(第1回須田國太郎賞)。「猿」(市長賞)京都市展。
昭和39年 「猿」日展。「狩猟」(市展賞)京都市展。
昭和41年 「手長猿」
昭和42年 「吾子」「禿こう」(奨励賞)日春展。
昭和44年 「泉」日展。「笛」日春展。「とり」(京都府買上げ)京都府日本画総合展。
昭和45年 「らくだ」日展。個展(花と子どもシリーズ)大阪西美会倶楽部。
昭和46年 「白馬」日展。「収穫」(今日の日本画・第1回山種美術館賞展)。
昭和47年 「向日葵」日展。「昇天」(市展賞)京都市展。
昭和48年3月 青塔社を退きフリーとなる。
昭和50年 「THE CROSS」第3回山種美術館賞展。幸田暁治展(馬上童女,踊り子,献果,騎士,夢,月光,天使の森,金童女,ばらなど約30点)
論文に「わが師池田遙邨」(アート・トップ)「素朴の微笑」(アート)などがあり、そのほか散文詩、随想などがある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和51年版(331-332頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「幸田暁治」『日本美術年鑑』昭和51年版(331-332頁)
例)「幸田暁治 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9622.html(閲覧日 2024-04-20)
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