吉川観方

没年月日:1979/04/16
分野:, (日)

日本画家で、風俗研究とその収集家として知られる吉川観方は、4月16日心不全のため京都市内の病院で死去した。享年84。1894(明27)年京都に生まれ、8歳で四条派の西堀刀水に絵を学び、また浮世絵研究を始め、中学校卒業後役者似顔の小版画つくり、1914年京都市立絵画専門学校予科に入学し、在学中木版役者絵を刊行した。同じく在学中の17年第11回文展に「舞台のかげ」が入選し翌年絵専本科を卒業した。この年、松竹合名会社に入社し、舞台意匠顧問となった。第12回文展に「花は散る日は暮るゝ」を出品し落選となった。20年同校研究家を卒業し、翌年前回に引つづき浮世絵を刊行した。25年より故実研究を中心に風俗研究及びその資料蒐集をすすめ晩年に至る。主著-「観方創作版画集」「衣服と紋様」上、下「2600年風俗図史」「写真日本風俗史」三巻ほか。72年2月奈良県文化会館で作品展が開催された。

略歴
1894年 京都に生まれる
1900年 岡阪鉄山に書を習う
1901年 四条派の西堀刀水に日本画を習う
1907年 藤原重浪に和歌の添削を受ける。上代様仮名を独習
1909年 浮世絵の研究を始める
1913年 京都府立第一中学校卒業。役者似顔の小版画を出す。これ以来関西に版画の復興を思い立つ
1914年 京都市立絵画専門学校予科に入学
1916年 京都ではじめて木版役者絵を刊行
1917年 第11回文展に「舞台のかげ」入選
1918年 絵画専門学校本科卒業。松竹合名社に入社、舞台意匠顧問となる。第12回文展に「花は散る日は暮るゝ」を出品するが落選となる
1920年 絵画専門学校研究科卒業
1922年 関西で初めて雲母摺大錦版舞妓大首図を刊行、ついで役者大首図も刊行
1923年 故実研究会を創立。『観方創作版画集』を刊行
1924年 泰東書道第1回展に入選受賞
1925年 三木翠山と創作版画展を開催。これ以後は展覧会等に作品を発表せず、以来によって作品を描くようになる。又、故実研究会の活動を中心に、風俗研究や風俗資料の蒐集が盛んになる。
1943年 この頃から、京都の今井氏と親交、同氏のために多くの作品を描く
1945年 日本美術工芸交驩協会発会に参加
1947年 この頃身延山に遊び日蓮宗管長の肖像画を描く
1948年 この頃大分市の一丸氏の依頼で大作に取り組む
1954年 春日大社の画所預となり、現在に至るが、その後はあまり描かず風俗研究・風俗資料蒐集・著作等に精力を傾ける。又、全国各地で風俗資料展を盛んに開催する
1966年 京都新聞社から文化賞を受ける
1968年 京都市から第1回文化功労者賞、金杯を受ける(奈良県文化会館開催展目録抜萃)

出 典:『日本美術年鑑』昭和55年版(273頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「吉川観方」『日本美術年鑑』昭和55年版(273頁)
例)「吉川観方 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9588.html(閲覧日 2024-04-24)

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